NHKテレビテキスト「100分de名著」般若心経より抜粋 その2
[同書 P7より]
「般若心経」が述べていることは必ずしも釈迦の考えではありません。それはむしろ「釈迦の時代の教えを否定することによって、釈迦を超えようとしている経典」です。私の言いたいのは「般若心経は、釈迦自身のお教えと違う別の道を我々に教えている」という事実です。
[同書 P14より]
このように「般若心経」はある意味、釈迦の教えを否定する経典です。釈迦の時代の教えを「錯覚である」と言って否定し、それを超越するようなもう一つ高次の論理をその上にかぶせ、みずからが釈迦の時代の教えよりも上位に立つことを目指した、そういう経典なのです。
[同書 P23より]
仏教を「釈迦の仏教」と「大乗仏教」に分けて次のような事を主張する。
「釈迦の仏教」のもとでは、どんな立派な修行者でも、釈迦のようなブッダになれないかというと、ブッダと呼ばれる存在は世界でたった一人、つまり同時に二人以上のブッダは世に現われないという決まりになっているからです。
[同書 P32より]
観音という「大乗仏教を代表する菩薩様」が、舎利子という「釈迦の仏教を代表する阿羅漢」に対して教えを説く、という構成になっているのです。これだけみても「大乗仏教は釈迦の仏教より上だと言いたい」という作者の思いが読み取れます。
[同書 P34より]
その内容は、自分たちの信奉する般若波羅密多の教えは釈迦の教えよりもっと深遠で、もっと素晴らしいというものです。
[同書 P39より]
「般若波羅密多」同様、「空」も、釈迦の時代にはそれほど重要なキーワードではありませんでした。しかし裏返して言うと、釈迦がそれほど重視していなかったことを「般若心経」を信奉する人たちはことさら大きく取り上げたわけですから、その理由を考察すると「見えてくるもの」があります。
[同書 P48の枠外より]
この世は、実在する基本要素の関係性によって成り立っている」という釈迦の世界観を発展させたところに、「アビダルマ」という大変に合理的な哲学体系が生み出された。
「私のコメント」
以下まだまだ続きますが、この辺で引用をやめます。
なんとも感想の述べようがありません。お釈迦さまの完全否定です。又私が理解している仏教史の完全否定です。これには異論を公開する必要があります。
その内容を早く知りたい人は、私のHP「般若心経の空とはなにか」を読んでみて下さい。これから、HPに載っていない事を含めて、佐々木閑氏のNHKテレビテキスト「100分de名著」般若心経とは異なる、私の般若心経解釈を述べていきます。
なお、「100分de名著」般若心経は、大きな書店では今でも置いてあります。関心ある方は是非購入して読んでみて下さい。