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般若心経の空とはなにか

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西村公朝師の本

先般、知人の久富幸子さんから本を頂いた。

    西村公朝
       仏の道に救いはあるのか
        -迷僧公朝のひとりごと-
       新潮社

 西村公朝師は、1915年生まれで、2003年12月逝去された。
 仏像彫刻家。東京芸大教授、吹田市立博物会館長、京都の愛宕念仏寺住職など務められた。
 (財)美術院の所長を長年にわたってつとめ、三十三間堂の十一面千手千体観音像をはじめとして、千数百体におよぶ仏像修理にたずさわられた。紫綬褒章、仏教伝道文化賞、天台大仏師法印、勲三等瑞宝章、東方文化賞等受賞され、著書も多数ある方です。
 不勉強な私は久富さんから著書を頂いて初めて知ったのですが、大変な事績を残された方です。
 早速読んでみて、びっくりするというか、感銘を受ける記述が沢山ありました。
 「本当はこれらの宗派全体(法相宗、華厳宗、律宗、天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、日蓮宗など)を一括したのが仏教であり、その教祖、祖師は釈尊なのである。だから、どの宗派でも必ず釈迦如来像を中心にし、続いて各宗祖の像を祀るべきである。」
 「釈尊の説かれた仏教を根本的に学び、その解説を話し、釈尊の言葉の中にある教えの本旨を説ける僧になれ、と。」
 「多くの僧たちは、釈尊の本旨を学ぶことなく、一宗派の宗祖だけの言葉を全てとして、むしろ他を知らないことを信仰的には誇りとさえ思い込んでいる。」
 「私一人だけでも釈尊にもどれと叫び続けたい。」
 西村公朝師はさらにほとんどの仏教者が語らない、語らない事が知的で合理的だと考える、輪廻と魂について説かれている。
 「今現に生きている私には、私の肉体の機能と、これとは別に実体のない意識のようなものが、もう一つあるように思う。」
 「ここで、釈尊のいう因と縁の関係で考えると、私の前世から今の現世に移る時、その橋渡しとして、つまり、つなぎとなる何かがあったのではないかと思う。では、そのつなぎとなったものは何か。それを古人は魂だといっているのではないだろうか。つまり、私の魂が、私の前世から、私の現世に移り渡ったということになる。ならばこの私は、この現世から死の来世に変わるとき、私の魂は私の肉体から離れて、私の来世へと移り渡って行くという計算にならないだろうか。もしそうだとすれば、私の魂は、前世から現世へ、そして来世へ、つまり生から死の世界へ移り変わり、そこから更に次の生へと生き続けているということではないだろうか。」
 「私の魂が、前世から現世に移り渡る時、私の魂が昔々から最も縁の深かった私の両親の魂と、つまり三体の魂が合体した、その時、母の胎内に私が泊まったということであろうか。」
 西村公朝師の仏像修理者として、又、仏像彫刻家としての視点からのこうした言葉には大変、重いものを感じている。
 「釈尊に帰れ」とか「輪廻の主体としての魂の存在」を説く仏教者は、なかなかいない。仏教者以外の人では何人か読んだ記憶があるが、仏教者では初めて出会った気がする。しかも「宗祖より仏教の祖師釈尊をまずうやまえ」という言葉はなんと勇気ある発言だろうとも思う。
 今回は時間がないので省略しますが、西村公朝師の言葉に関連する事項を次回掲載します。

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