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般若心経の空とはなにか

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(61)般若心経の呪について その① 呪の意義

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(61)般若心経の呪について その① 呪の意義

私は般若心経の宗教上の意義としてホームページにも記載してあるとおり、
次の三つを掲げてあります。

悟りの完成というお釈迦さまの歴史的事実を宣布した事。
仏教の教説をお釈迦さまの真意に回帰させた事。

般若心経の真髄を「呪」として全ての人の修行ないし信仰上の徳目とした事。
 この①と②については、これまでのブログの内容とホームページに掲載した
冊子で十分述べたので、最後に③の呪について少し詳しく説明します。

 呪は元々、祝と同義で使われる言葉です。呪又は祝の原義は神に告げる言葉でした。そこから、祈り願う(呪願又は祝願)、のろう(呪詛又は祝詛)、まじない(禁呪又は禁祝)の言葉を意味するようになり、こうした道術を総称して呪術と呼ぶようになったものです。

 こうした漢語の意味の呪が、サンスクリット語の仏典の漢訳で主としてダラニ(陀羅尼)の訳語とされました。

 陀羅尼は修行者が心の錯乱を防いで集中し、説教を記憶し保持する呪文として用いられた。
真言はサンスクリット語のマントラの訳ですが、マントラも呪とも訳されます。マントラは元々、バラモンの僧によって誦唱された習俗を仏教の密教が取り入れ、中国に密教が伝来した際にその呪句(マントラ)が真言と訳された。

 マントラは神々に対する呼びかけや祈願の句です。この句自体に神聖な力が宿っており、神々をもその意味のごとくに支配するものと考えられ、この力に依頼して公的私的な祭祀において誦唱された。

 ダラニとマントラは本質的には同じ機能を持つとされるが、ダラニは比較的長く、帰敬の辞で始まり、形容語句を連ね、祈願して、最後に「ソワカ」で結ぶ形式が多いとされます。

 般若心経の呪は「ギャテー、ギャテー、ハラギャテー、ハラソーギャテー、ボージソワカ」とソワカで結ばれているので、形式としては陀羅尼です。

 しかし、現代の仏教経典上も仏教学においても真言、陀羅尼、呪は明確に区別されていないようです。密教でも「真言陀羅尼」と、ひとつにくくられていわれることがあり、その区分は明らかでありません。

 そこで、般若心経の呪を、陀羅尼(ダラニ)、真言(マントラ)と同じ宗教上の意義をもつものと考えて、呪の意義と目的をまとめてみます。

 大乗経典は時代とともに変化し、縮小される傾向が出てきて、ダラニ化し、マントラ化していきます。

 般若経もあまりに長大かつ難解であったため「八千頌般若経」から「百頌般若経」そして「般若心経」に縮小され、「呪」に収められました。

 経典の縮小から、ダラニ、マントラ、あるいはビージャ(一シラブルの種子マンダラ)という呪への縮小は経典の要約的神秘化の過程と見ることができますが、呪は論理としての言葉でなく、神秘的な啓示であるといわれます。般若心経の呪も、般若心経が指し示す「空」の真理の総合的、直観的そして直証の象徴だという。

 その一方で呪は神秘的な体験をもつ者にのみ真の意義を開顕し、そうでない者には全く無意味な言葉にすぎないとされます。呪は師から直接に伝授されてのみ意味をもち、そうでない場合は、言語上の意味を分かっても、何の意義をもたないとされるのです。

 呪の目的、呪を誦唱することによる効果は、おおむね次の3つにあると考えられます。

ⅰ)修行目的のすみやかな達成のため、経典や経典の意義を全て記憶するという普通の人にはなし得ない超人的記憶力の獲得を目的とする。

ⅱ)言葉で表現不能の宗教的真理の体得を目的とする。これは呪の誦唱によって諸仏の本体と自己とを一致させて悟る、とか、呪の誦唱によって宇宙的霊魂との一致を体得する、という意味と考えられる。

ⅲ)自らの、あるいは他の人の除災、招福を目的とする。
以上3つの他に、呪そのものの目的は考えられるが、仏教教義上はこの3つ
であろうと思います。

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