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般若心経の空とはなにか

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(50)唯識、唯識仏教とは、その⑫心の構造、阿頼那識と未那識

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(50)唯識、唯識仏教とは、その⑫心の構造、阿頼那識と未那識


  未那識の未那とはサンスクリット語の「マナス」の音写語で、「恒審思量」と
漢訳されるが、阿頼那識を実我だと「恒に審らかに思い量る心」の意味です。

  同じ深層の心にありながら、阿頼那識を自己に関する確固不変の実体的な我
と錯覚する心のはたらきで、自己執着心ともいいます。

  未那識には三つの特徴があります。
未那識は私たちが直接確認できない潜在的な心の領域であること。
未那識の心的作用には阿頼那識と同様に間断(途切れ)がなく、常に活動すること。
未那識の活動内容はなにごとも自己中心的で、平等の観念がないこと。

  阿頼那識は徹底して無記の性質をもつのですが、意識と前五識のはたらきを
 直接的に強い影響下におくのが未那識なのです。阿頼那識は無始の過去から未
 来に向かって途切れなく連続する根源的な心であり、変わりながらも全体的に
 は同じ性質を相続するものですが、実体的なものでなく無常性、つまり「空」
 の性質をもつものです。しかし未那識はそうした阿頼那識を確固とした不変の
自己と錯覚し、何ごとも利己的に自己愛的に解釈してしまう心なのです。

唯識では心のはたらきを六種に分けて五十一に分類します。六種のカテゴリ
ーは「遍行」、「別境」、「善」、「煩悩」、「随煩悩」、「不定」ですが、未那識がも
つ心のはたらきは人間の迷いや悩みの根本となる「煩悩」と「随煩悩」に集中
しているとされます。

「煩悩」とは根本煩悩ともいわれ、人の身体と心を混迷させる根本的な心理作
用であり、「随煩悩」とは「煩悩」によって起動する心のはたらきです。長くな
るのでここでは六種五十一の心について解説しませんが要するに人間の迷いの
根源は未那識と心のはたらきにあるということです。

 意識が前五識と共に生起するのを「五後の意識」といいます。前五識と同時
に意識がはたらいた後に引き続き生起してくる意識作用のことです。例えば眼
識が文字を見ると同時に意識はその意味を理解した後も引き続きその内容を思
考する作用ですが、前五識の後に起こるので「五後の意識」といいます。

 意識は前五識の生起と連動しないで単独に、懐かしい過去の思い出に浸った
りまだ見ぬ遠い未来に思いをはせるなど、さまざまの思考をめぐらしますが、
こうしたはたらきを「独頭の意識」といいます。そして意識は過去、現在、未
来の一切の現象(法)を認識の対象とするので「広縁の識」ともいわれます。

 意識は善悪を生起するだけでなく、善悪を超えた思索や創作をする性質をも
つので、煩悩をともなう未那識という深い利己性に強い影響を受けながらも積
徳や善の行いにいそしみ悟りの世界に向かおうとする力も内在しているものな
のです。人は未那識の影響のもとに煩悩にまみれながらも、元々、善でも悪で
もない無記の性質をもつ阿頼那識を生存の基盤にもつので、不徳や悪の方向だ
けでなく、積徳や善の方向にも舵取りが出来て悟りの道を発見出来る可能性も
あるのです。

 私は唯識が説く深層の心と表層の心についてここ迄記述してきて、今、気付
いたことがあります。それは厳しい修行の末に悟りを得たお釈迦さまの言葉で
す。

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