種子の六義という言葉がありますが、それは種子は六つの条件をそなえるものであり、その六つの条件をすべて満たすものでなければ種子でないの意味です。
その六つとは刹那滅(せつなめつ)、果倶有(かくう)、恒随転(こうずいてん)、性決定(しょうけつじょう)、待衆縁(たいしゅうえん)、引自果(いんじか)です。
「刹那滅」
種子は常住不変のものでなく、絶えず生滅変化するもので、刹那刹那に生滅変
化する特徴をもつものであるという意味です。
「果倶有」
諸法(一切の現象)生起における原因と結果、つまり種子と現行とは因果同時
であるという条件を意味します。諸法生起の原因たる種子は、同時の一刹那に
結果である現行を有しているという意味です(種子生現行・現行薫種子の三法
展転因果同時)。
「恒随転」
種子は恒(未来永劫)にわたってとぎれることなく、その性質を変えないで相
続するものであるの意味です。(恒にわたって一類に相続する種子生種子)。
「性決定」
種子と現行は性質が同じものであるという意味です。善の種子が善の現行を生
じ、悪の種子からは悪の現行を生じ、無記(善でも悪でもない)の種子からは、
無記の現行を生ずる。このように現行の性質はそれを生み出す種子の性質に応
ずるという意味です。
「待衆縁」
種子は諸法を生起させていく潜在的な原因力ですが、現実にはその種子だけで
は一切の物事(諸法)は、成立しません。人々の日常生活が成り立っていくに
は、その成立を助ける条件である縁が必要です。衆の縁の和合を待つ、という
意味です。待衆縁は次に述べる引自果とともに、唯識仏教としての一つの明確
な表明であると云われます。
「引自果」
種子は自らと同じ種類の結果を引き出し生み出すものであるという意味で
す。
前述「性決定」では同じ性質の結果を生み出す「性質」を問題にしてますが、引自果は同じ性質の結果を生み出す「種類」を問題にしてます。
この世の中のさまざまの因縁によって成り立っているものを有為法(一切諸法のことでそれ以外のものを無為法といい、因果律を超えた悟りなどの世界のこと)といいますが、それは次の三つに分類されます。
心法 精神的なもの(心と心のはたらき)
色法 物質的なもの
不相応行法 心法・色法のいずれでもないもの(方向・時間・数量)
種子は諸法生起の原因となるものですが、心的な現行は心法の種子から生み出
され、物質的なものの現行は色法の種子から生み出されるものでなければなら
ないの意味です。