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般若心経の空とはなにか

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(44)唯識、唯識仏教とは、その⑥、心の構造、能変の心

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(44)唯識、唯識仏教とは、その⑥、心の構造、能変の心

前回(43)で表層の心について説明しました。次にその心の根底にある深層の心に入る前に、唯識が考える心の性質、「能変する心」の意味について考えてみます。

 私のHPの冊子P21に以下の文章を掲載してます。
「④空の智慧は何故、宗教的実践の指針になるのか
 自分では気付かないのですが、人間は非常な多面性を持っております。

 人はそもそも、さまざまな立場を重複し共有しております。夫又は妻、子供の親、両親の子供、兄弟又は姉妹、友達、学友、職場の同僚か部下又は上司、趣味の会の仲間など、数えあげたら際限なくあります。

 そこで例えば、妻からみたあなた(夫)は子供からみたあなた(親)と同じ人間だろうか?。両親からみたあなたは兄弟、姉妹からみたあなたと同じ人間だろうか?。職場の同僚からみたあなたは部下又は上司からみたあなたと同じ人間だろうか?。同僚Aさんからみたあなたは同僚Bさんからみたあなたと同じ人間だろうか?。

 妻には厳しいが子供に甘い。両親を大事にするけれど兄弟、姉妹の面倒をみない。仕事は出来るけど部下を育てず上司にへつらう。同僚との付き合いはいいが酒癖が悪い。食事の作法や服装の好みの違いで品がないとかセンスが悪いと云って反目する事も珍しくない。だから「あの人は優しい」「あの人は厳しい」「あの人は薄情だ」「あの人は能力がある」「あの人はだらしない」等々、同一人物に相反する要素も含めてさまざまの評価が下されている。

 いずれも、その人の実体ではないのです。その評価は、その時々の二人の相互作用によって生じた印象に過ぎず、状況によって刻々と変わるものです。

 この事は人間はいか様にも変わり得る可能性を潜在的に持っている事を示すものです。極端な事例を持ち出すまでもなく、交通事故を考えると人は簡単に殺人者にもなるのです。一人一人の人間の中にはあらゆる可能性が秘められています。その両極は極悪非道な存在とお釈迦さまの悟りに至る道をたどれる存在です。

 すべては相互依存関係の中で存在して未来永劫変わらない実体がないと云う空の智慧は、人間すべてに仏性、つまりお釈迦さまの悟りの道を発見して仏、(覚めた人)になる可能性がある事を教えているものです。

 ここに空の宗教的実践の指針としての意味があるのです。」
これは一人一人の人間の相互依存性(空)の中での多面性を説明するものですが、実は多面性どころでない無数の多様性があるのです。厳密に表現するならば、一人の人間像は無数に存在するのであり、具体的な数字で表現すれば一人の人間には現代の地球の人口、約73億人分の人間像が有るとするのが「空」の理法による理解の仕方なのです。

 こうした人の多面性、多様性を唯識によって考えるならば、人を見る側の心の構造の問題だという事になります。

 唯識によれば人は対面する相手を他の第三者とも共有する「客観的な存在」として見てるのでなく「認識するその人物を自分に潜在する自己固有の心上に映る影像として変現したものを見ている」と考えます。こうした認識の対象となったあらゆる事物や現象をその人固有の心に映し出された影像として見るという心のはたらきを「能変の心」といいます。

 唯識において「心」という場合、常に「能変の心」を意味します。前回(43)に掲載した心の体系図の下にある「初能変」、「第二能変」、「第三能変」はそうした能変の心を意味します。

 表層の心は第三能変の心であり、それは表層の心の根源的な基層をなす阿頼那識でまず能変し(初能変)、表層の心と阿頼那識をつなぐ未那識で能変をした心(第二能変)が表層の心を能変させた(第三能変)影像を、私たちは現実の事物や現象として見ているのだという事なのです。

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