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般若心経の空とはなにか

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(32)中国仏教の教相判釈と日本の仏教

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(32)中国仏教の教相判釈と日本の仏教

さてこれ迄、仏教史上の大きな転換となったポイントを般若心経の内容に則
して論じてきました。お釈迦さまの悟りの内容である縁起の法「実在の否定」、
約400年後の説一切有部の論理「実在の肯定」、さらに約200年後の龍樹によ
る空の論理「実在の否定」です。

 そして日本では大乗仏教が広く流布し、東南アジでは小乗仏教(部派仏教)
のみが流布し、同じお釈迦さまを宗祖としながら、信仰の形も修行法にも共通
するものがありません。

 何故、仏教はこんな分裂状況になってしまったのでしょうか?
それは最初の頃の(3)回目で述べた仏教伝播の時期と内容の違いにあります
が、その中で決定的な理由は中国仏教の教相判釈、とりわけ「五時教判」にあ
ると私は信じております。

 この点についてHPの10ページにありますが、ここで簡単に説明します。
中国へは紀元後一世紀頃から数百年に渡り仏教経典が伝えられ漢約されてい
きました。その中で小乗仏教経典は勿論、大乗仏教経典の多くに、その枕詞と
して「如是我聞」がありました。それには経典の作者なりの理由があっての事
なのですが、中国の修行者はそれをお釈迦さまの説話をその直弟子が、「私はか
くの如く聞いた」と理解した。そのため、お釈迦さまが入滅されて約700年か
ら800年にも渡り論争されながら記録されていった経典が「お釈迦さま一代で
説かれた説話の記録」と判断されたのです。すると平易に説かれた説話(阿含
経典)と深く高邁な真理を説く経典(華厳経典等)あり、又矛盾する経典があ
るため、それを整理する学問「教相判釈」が発達します。教相判釈とは諸経典
の内容と成立の時期(お釈迦さまが説法された45年間の時期)、その順序次第
を解釈して、仏教経典の根本真理と仏教修行の究極目標を確立しようとする経
典解釈学です。

 この教相判釈で最も有名なのが慧観の五時教判、中国天台宗のが説いた
五時八教でした。ここで五時とはお釈迦さま一代の説法を華厳時、阿含時、方
等時、般若時、法華涅槃時の五つの時期に分けたものです。

 この中で阿含時の阿含経典は真理の一面のみを説く程度の低い経典とされ、
法華・涅槃経典がお釈迦さまの真意を表す最も優れた完全な教えとされました。

 この中国仏教が仏教として日本に伝えられ定着して今日に至ってます。中国
仏教・日本仏教と東南アジア仏教の違いはこの教相判釈に依っていたのです。

 近代になって西欧でも仏教学が発展したが、西欧人にとって経典とは「宗祖
又はその直弟子の言葉の記録」だから、その意味で仏教経典とはパーリ語やサ
ンスクリット語で記録された「アーガマ」つまり阿含経典でした。

 明治中葉になってそうした原語による研究が進んでいる西欧の仏教学の事情
が伝わってくると、南条文雄、笹原研寿、姉崎正治が学僧として西欧に留学し
た事で、日本人は仏教伝播の真相を知った。こうして五時教判により仏教史の
片隅に置かれていたお釈迦さま直説の教え「阿含経典」が「根本仏教」、「原始
仏教」として研究され今日に至っているのです。

 小乗仏教とは劣った教えとか小さな乗物の意味で、優れた教えとか大きな乗
物を意味する大乗仏教の側が名付けた貶称です。このため明治の中葉以後、小
乗の用語は差別的だとして使用をやめ、大乗仏教が興隆する以前の上座部系と
大衆部系仏教を総称して「部派仏教」と呼ぶようになった。これまでこのブロ
グで小乗仏教を部派仏教と呼称してきたのも、以上の理由による訳です。

 又、同時に大乗仏教はお釈迦さまが説かれたものでないため「大乗非仏説論」
が出てきました。古くはインドや中国でもあったが、客観的かつ実証的に大乗
非仏説論を唱えたのは、日本近世の富永仲基でした。

 仲基は経典すべてがお釈迦さま一代で説かれたものでなく、歴史的進展にと
もなって異なった思想や学説がおこり、それが順次、前のものの上に付加され
ていったとして、お釈迦さま直説のものは阿含経典の一部のみであるとした。
江戸時代にこれだけの主張するのは大変な慧眼と云わねばならない。儒学者の
服部天游も仲基の影響を受けて、同様の観点から大乗非仏説論を唱えました。

 明治時代になって前述の通り、西欧の仏教学が知られて、原始仏教(阿含経)
の原典研究が盛んになると、改めて大乗非仏説論がおこります。

 そこで村上専精は大乗経典は歴史的事実を説かないが、教理的にはお釈迦さ
まの真意を伝えているとした。さらに前田慧雲は大乗の教理はすでに原始仏教
の中に胚胎するとした。そこから原始仏教に帰れという声が高まっていた。

 しかし、原始仏教に戻ったとしても、お釈迦さまの直説を探り出すのは困難
であり、原始経典そのものもお釈迦さま入滅されて数百年後に編集されたこと
などから、大乗非仏説論の主張や論争は次第に下火となり今日に至っている。

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