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般若心経の空とはなにか

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(29)龍樹と空の論理、その②、実在の否定

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(29)龍樹と空の論理、その②、実在の否定

前回(25)回まで述べてきた世に説一切有部は、「五位七十五法」と「三世実
有・法体恒有」論理、「三世両重の因果説」の論理により実在説を確立していた。

 龍樹はお釈迦さまの智慧の完成者で、(12)回で解説した最高の智慧プラジニ
アと、最高の思惟である叡智ジナナの体現者でした。

 それまでの般若経の著者は、プラジニアの智慧により瞑想の中で観たものを
直感と比喩で語るだけで、ジナナの論理によって言葉で考える大多数の修行者
にその意味、意義を伝えることが出来なかったのです。

 龍樹は説一切有部の実在説を言葉をもって否定して対決し、説一切有部の実
在説を徹底して否定するために、多くの経典を書かれたのです。ほとんどの大
乗経典の著作者の名前が不明の中で、龍樹の著書は代表作の「中論」をはじめ
「六十頒如理論」「空七十論」「ヴァイタル論」「宝行王正論」など真偽が未解決
のものも含めて10数冊が伝えられております。

 龍樹は実体(実在、本体、自性、本質的存在)を次のように説いた。(以下、
梶山雄一、「空の思想、仏教における言葉と沈黙」人文書院に依る)
 仏教教学上「ものがある」というのは「有」の立場で常任論(実在論、常見)
となり、「ものがない」というのは「無」の立場で断滅論(虚無論、断見)とい
う根本的な存在論の表現となる。

 そこで「空」の論理を考察する場合には、この点を明確に定義しないと議論
がかみ合わないことになるので、龍樹は「実体」を次の3つの要素をかかげて
定義した。
自立的である。
恒常不変である。
単一である。

  『実体は他に依存することはあり得ず、他に依存して生じたり滅したりしな
 いから自立的である。

 実体は変化することがなく永続する。ただ永続するだけでなく、永続すると
同時に絶対に変化することがない。
 一つのものに本質が二つあることはない。本質が複合体だという事はあり得
ないから単一である。

 事実の世界に存在しているものは自立的ではなく縁起したもの(相互依存関
係で生起する)であり、恒常不変でなく変化するものであり、単一ではなく複
合的なものである。従って事実の世界では実体のあるものは一切存在しない。』

 空とは「実体がない」ということで、何もかも存在しない(虚無論)という
ことでなく「すべてのものには実体がない」ということである。もし実体があ
るとすれば、それは「言葉の世界」であると説かれたのです。

般若経を残した修行者達が瞑想の中で観たものは、表現や言葉を超えた一元
の世界でした。事物を言葉で表せるということは、そのように信ずる人間の固
定観念であり、人間の言葉による事物の実体化にすぎないのです。

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