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般若心経の空とはなにか

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(27)般若波羅密多→智慧を完成する瞑想

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(27)般若波羅密多→智慧を完成する瞑想

龍樹について語る前に1つ、解説したいことがあります。それは瞑想です。
般若波羅密多とはサンスクリット語の「智慧の完成」を意味します。般若心経
では冒頭に「行深般若波羅密多時」とありますが、私はこれを「智慧を完成す
る瞑想を深く行じていた時」と訳しました。お釈迦さまが悟られた智慧を我が
身で完成させるのは、言葉による精密で高邁な論理でなく、お釈迦さまが弟子
達に伝授した作法の瞑想以外にあり得ないからです。

 瞑想とは漢語の「冥想」に由来する言葉で、目を閉じて深く思索するという
意味です。日本語として瞑と冥はいずれも「くらい」「くらがり」「やみ」など
同じ意味です。そして「荘子」の思想において「冥」という字は「深い精神集
中のなかで根源的な真理と一体化する」ことを表す言葉だと云われます。

 仏教で瞑想という言葉が使われるようになったのは近代になってからです。仏教がヨーロッパで知られるようになると、禅やチベット仏教の実修がヨーガとともにメディテーションとして理解されるようになると、それが瞑想と訳されて知られるようになりました。禅はサンスクリット語のジェンの音写語で精神の安定と統一を意味します。禅の修行において座り方として最も安定した姿勢となる結跏趺坐(けっかふざ)を取ります。座禅と云う言葉は精神状態を示す「禅」と、身体の姿勢を示す「坐」を結びついて名付けられたものです。座禅と云う名称の誕生はずっと後世の事ですが、結跏趺坐による瞑想はお釈迦さまの時代から、仏教修行の中心に位置して今日に至っているのです。

冥想について私には語るだけの知識がないので、「冥想とは何か」について、中沢新一氏と河合隼雄氏が対談集「仏教が好き!」の中で興味深い解説をされているのを紹介します。

中沢「冥想とは何か。一言でいうと、大脳新皮質の活動を停止させたときに見えてくるものがあると、そのことに尽きると思います。~大脳が新しい皮質の活動を停止させたときに、古い皮質が活動し始めていきますよね。」

河合「その古い皮質が活動するときに覚醒度を持ってないといけない。覚醒の度合いが高くないといかんわけですよ。普通、新皮質が停止すると、全部寝てしまうんですよ。われわれが瞑想すると眠くなる。それをずうっと覚醒の度合いのレベルをちゃんと保持したままで新皮質の活動を停止する。この練習をしているのが瞑想やないでしょうかね。」

中沢「その瞑想の練習には呼吸法が一番重要な働きをして、呼吸法がどうも間腦とか脳幹あたりを活性化させます。古い皮質が煌々と目覚めてくる状態をつくり出す、一つのいちばん確実な道は呼吸法になってくる。大体どの神秘主義的な瞑想法でもそれを言ってます。」

 お二人のこのお話しだけでは冥想とは何かということはまだ分らないが、その
片鱗を垣間見ることは出来ます。瞑想は人が普段の日常生活では全く意識するこ
ともなく、又知ることも出来ない脳内の深い潜在意識と深層意識をコントロールする方法なのです。

 瞑想の方法論としての基本は姿勢(結跏趺坐)、観想(特定の対象に精神を集中して想念することですが、禅宗では無に精神を集中する)、呼吸法の3つです。中沢氏はこの3つの中で呼吸法こそ瞑想の要であると発言されている。

 瞑想には必ず目的があり、目的に応じた観想と呼吸法があるようです。その中ではお釈迦さまが実践して目的を成就された、この世の一切を貫徹する唯一にして絶対的真理である「空」を直感的、直証的、総合的に体得する「智慧を完成する瞑想」こそ究極の瞑想なのです。

 私は何時の時代にも、インドの奥地や、お釈迦さまの時代の教義と修行を今に残すスリランカ、ミャンマー、タイ等にこの瞑想の完成者が一世代に一人、二人はおられると信じています。お釈迦さまの悟りを未来永劫に渡って人間社会に引き継がれていくのに、それで充分なのでしょう。


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