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般若心経の空とはなにか

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(26)般若経

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(26)般若経

お釈迦さまの実在を否定する縁起説に対して、事実上の実在説を説く説一切
有部(上座部系)の教団は、精密で論理的教説は多くの支持を受けて、仏教教
団の主流になっていた。そうした中で大衆部系教団の影響を受けた一群の神秘
的修行者の中に、説一切有部の教説に反論する者が出てきます。

 彼等にとってお釈迦さまが説かれた瞑想こそ真理探究の唯一の道でした。瞑
想の中で仏(悟った人)を観た、仏が説く真理を聞いたとして今、十方世界に
多数の仏がいると主張したのです。

 以下「空の思想、仏教における言葉と沈黙、梶山雄一著、人文書院より利用
します。

 「ある対象に意識を集中して瞑想を続けていると、その対象の名前、その形
は次第に消えていく。思惟されるもの、表現されるもの、知覚されるものすべ
て消え失せてしまって、最後まで残っている最高の真実は、生じもせず、滅し
もせず、来たらず、去らず、作られたものでもなく変化もしない。いかなる形
でも現象せず、時間的にも空間的にも無限無辺である。それはすべての規定を
離れ、静寂、孤独、清浄である。このように実在とは、部派仏教のアビダルマ
哲学が主張する多元的な本体(75種の実在する要素)とはうらはらに、言葉と
表象を超えた一元の世界であった。彼等は仏の真意はアビダルマ哲学のような
知的な分析によってでなく、深い瞑想の実践によってのみ得ることができると
確信したのである。

 瞑想の中で観た真理はアビダルマの区別の哲学とまったく異なった、あらゆ
る区別が否定される世界であった。こうして、“聖なるものと俗なるもの”、“煩
悩と解脱”、“生死と涅槃”、“善と悪”などは全く異なるものとするアビダルマ
の区別の哲学を否定し、すべては無常であるというお釈迦さまの根元的な教え
への回帰を主張したのである。」

 般若経は「般若波羅密多」を主張するが、その意味は「智慧の完成」でその
実体は「空の思想」です。その表現として神秘的修行者は瞑想の中で「仏を観
た」、「仏の説法を聞いた」とか「夢の中で仏に会った」等、と記録されていっ
たのが般若経です。しかしそれは言葉と論理によって真理を突き止めるもので
なく「空」と云う真理を瞑想の中で体験したものを記録するものなので、ほと
んどの般若経典は一様にかなり類似した表現をあくことなく反復するものであ
った。このため仏教教団に広く影響を与えることなく膨大な般若経典群として
蓄積されていきました。

 それが約200年経過した時、つまりお釈迦さまが入滅されてから約600年後
に、龍樹が出現します。お釈迦さまにつぐ偉大な修行者であったため「龍樹菩
薩」とも尊称されます。

 龍樹によって般若経の「空」は言葉によって論理化され(14)回で解説した
菩薩思想と結合し、やがて大乗仏教の教義が完成されていきます。

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