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般若心経の空とはなにか

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(25)般若心経に出てくる用語について その⑧ 無苦集滅道その2

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(25)般若心経に出てくる用語について その⑧ 無苦集滅道その2

説一切有部が苦を滅する方法、「道諦」としてかかげるのが「八正道」です。
これは苦を滅に導く8つの正しい実践の徳目とされるもので、次の支分(項
目)からなっています。
1)正見   (正しい見方、見解)
2)正思性  (正しいものの考え方)
3)正語   (正しい言葉)
4)正業   (正しい行い)
5)正命   (正しい生活)
6)正精進  (正しい努力)
7)正念   (正しい思念)
8)正定   (正しい瞑想)

八正道において8)の正定という正しい瞑想が最終的な徳目で、他の7つの
支分は、正しい瞑想を達成するための準備的行為とされます。

 八正道は部派仏教(小乗仏教)の修行者が必ず守らねばならない徳目で特に
正定は部派仏教の最高の聖者である阿羅漢になるための瞑想とされます。

 しかし、実は大乗仏教にも八正道に相当する修行徳目があります。「六波羅密」
です。それは、布施波羅密、持戒波羅密、忍辱波羅密、精進波羅密、禅定波羅
密、智慧波羅密の6つです。最後の智慧波羅密は般若の智慧(プラジニア)を
完成する瞑想です。前段の5つは智慧波羅密を完成する準備的行為とされ、そ
の構造は八正道に似ています。しかし六波羅密の実践には厳しいものがありま
す。例えば布施波羅密では、実践において必要あれば、全財産も妻子や自分の
命をも捨てよとされます。持戒波羅密の完成のため、本当の意味で他人や社会
を救うためには悪も行え、と破戒も躊躇してはならないのです。

 部派仏教の八正道は道徳的色彩を持ち、穏健で理性的かつ合理的な特徴を持
つのに対して、六波羅密は常識的な線を越えて極端に走るという特徴を持って
いると評されますが、たしかにその通りかと思います。

 しかし、ここでは八正道と六波羅密のどちらがお釈迦さまの本意なのか論ず
ることは出来ません。それぞれお釈迦さまの教えを含み、一概にその正否を判
断出来ないからです。

 問題は八正道の最終目的、正定です。正定はどのような作法の瞑想なのか知
ることは出来ませんが、その目的は明らかです。部派仏教の最高の聖者、阿羅
漢になるための瞑想であって、般若心経が究極の悟りとして説く「空」、つまり
涅槃に至る道を示したものでないのです。

 阿羅漢は部派仏教の修行者の段位、預流、一来、不還、阿羅漢(以前、四向
四果で説明しました)の1つで、修行者が到達しうる最高の位です。

 お釈迦さまは阿羅漢よりはるかに優れた方で、凡夫が修行しても到達できな
い高みにある。無始の過去から無限の長い時間を輪廻し、修行を重ねて成道さ
れた。この世で初めて仏道を開いて修行をはじめた者は、なれたとしても阿羅
漢になれるだけである。だからとうていお釈迦さまのようになれないと考えて、
部派仏教はお釈迦さまが実在する涅槃を説かれたとする教義を打ち立てながら、
涅槃に至る道(成道)を放棄しているのです。

 お釈迦さまは智慧を完成する(般若波羅密多)自らの作法による瞑想によっ
てこの世の最深にして唯一の真理、縁起の法を悟り成道された。そして「自分
の説かないことに惑わされず、自分の説いたことを修行せよ」といって、その
瞑想を弟子達に教えて多くの解脱者を育てたと云われます。

縁起の法は後に龍樹によって「空」として再定義され、その「空」を主題に
聖者により般若心経は完成された。そのように考えると「無苦集滅道」と否定
された四聖諦は、部派仏教の「道諦」を含む四聖諦の否定が趣旨であって、お
釈迦さまが説かれた本来の四聖諦の否定でないことが明らかなのです。

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