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般若心経の空とはなにか

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(24)般若心経に出てくる用語について、その⑧ 無苦集滅道その1

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(24)般若心経に出てくる用語について、その⑧ 無苦集滅道その1

さて、(19)回から(23)回まで、般若心経には直接的な表現で出てこない教
義について説明してきました。ここで、般若心経に戻ってある意味、最も重要
な用語について説明します。
 それは「無苦集滅道」です。般若心経の中で、お釈迦さまの初めての説法「初
転法論」といわれる4つの真理(四聖諦)「苦集滅道」を「無」と否定している
のです。

 般若心経を完成した聖者は「お釈迦さまが説かれた四聖諦」を否定したので
しょうか?
 勿論、そんなことはありません。ここでも説一切有部独特の四聖諦解釈があ
り、聖者はそれを「無」と否定しているのです。これは前述、三科(五位七五
法と三世実有・法体恒有)の否定、三世両重の因果説の否定に続く、もう1つ
の説一切有部の教義を否定するものです。聖者は説一切有部の3つの主要な教
義を無と否定することにより、空(縁起の法)の正しさを強調しているのです。

 ところで、バラモン思想では、人間の本質は苦と楽のはざまの中で永遠に実
在して輪廻を繰り返す「我」、アートマンであるとされた。それに対してお釈迦
さまは人間にとって一切は苦であり、苦は滅することが出来ると説かれた。
肉体的精神的な苦痛は苦でありますが、楽も壊れる時には苦となります。不苦
不楽もすべては無常であって生滅の変化を免れることが出来ないので苦である
とされます。

 苦はまた、4つあるいは8つに分類されて「四苦八苦」と称されます。
四苦とは生老病死です。生とはこの世に誕生することで、それは新たな転生
の始まりによって一切の苦を受けることになるから苦です。老は肉体的精神的
な衰いと共に、次の終わりなき輪廻へ恐れの始まりだから苦です。病と死は苦
であることはいうまでもありません。

 八苦とは以上の四苦にさらに4つの苦を加えたものです。怨憎会苦は憎い者
と会う、あるいは会わねばならない苦です。愛別離苦は愛するものと別れる、
あるいは別れなければならない苦です。求不得苦は物質的な欲望が満たされな
い、あるいは不老不死を求めても得られない苦です。五陰盛苦は五蘊(現実を
構成する5つの要素)は迷いの世界、煩悩の世界として存在するもので、その
一切は苦であるということです。

 こうした免れようのない現実の世界の一切は苦でるとする認識が「苦諦」(苦
の真理)です。この世界が苦であるのは、人は迷いや煩悩により苦の原因とな
るものを自ら集めているからだとする認識が「集諦」(集の真理)です。

 お釈迦さまさまのこの自らが迷いと煩悩によって集めた苦を、自らの力で滅
することが出来ると説かれた。永久不滅の「我」の実在を説き、消滅すること
のない苦しみと楽しみの輪廻転生を主張するバラモン思想に対して、お釈迦さ
まが説かれた、自らの力で一切の苦を滅することが出来るとする真理が「滅諦」
(滅の真理)で、それはその時代においては革命的な教えでありました。そし
てお釈迦さまは苦を滅する方法があると説いて示された道が「道諦」(道の真理)
なのです。

 説一切有部も苦諦と集諦を説くのはまだ分りますが、教義の根本にある実在
説と滅諦には、どのような整合性があるのでしょうか?。そしてより一層重要
なことは、お釈迦さまが説かれる苦集滅道と、説一切有部が教義とする苦集滅
道との大きな違いが、最後の「道諦」にあることです。

 説一切有部は苦を滅する方法としての道として「八正道」を主張します。八
正道は苦を滅に導く八つの正しい実践の徳目とされるものです。

 般若心経を完成した聖者が、説一切有部の苦集滅道を無と否定する趣旨は、
特にこの八正道を否定する所にあるのです。

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