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般若心経の空とはなにか

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(22)三世両重の因果説、十二支縁起との関係について、その①

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(22)三世両重の因果説、十二支縁起との関係について、その①


 三世両重の因果説とは「十二支縁起は実在する」という説で前述(20)、(21)
の「五位七十五法」、「三世実有・法体恒有」とともに、説一切有部の実在説
の二大教義となるものです。

 お釈迦さまの悟りの本質である「縁起の法」を最も簡単に簡明に説かれた
のが(10)回にもかかげた次の此縁性といわれる偈です。

此れあるとき 此れあり
此れ起こるから 此れ起こり
此れないとき 此れなく
此れ滅すれば 此れ滅す

縁起の法を4つの条件(四支)で表現されてますが、後に六支、九支、十支
で説かれたものもあったようです。いずれの条件に依るにせよ、物事は他に
依存して生成消滅を繰り返すだけで、固有の性質を変わらない実体としても
つものは存在しないとする理法です。

 この縁起の法を人間の無常なる五蘊を説明するために12の条件によって
構成されたのが十二支縁起です。十二支縁起は、現実の人生の苦悩の根元を
追求し、その根元を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を時間
的な縁起と因果の関係で系列化したもので、縁起の法の1つの展開です。

 1)無明、2)行、3)識、4)名色、5)六処、6)触、7)受、8)愛、
9)取、10)有、11)生(誕生)、12)老死が12の条件です。
 最初の無明は、縁起の法という根元的理法に無知なことを意味します。人
間の煩悩や迷いはこの絶対的真理に無知になるために生ずるので、無明から
老死に至る経過を時系列に順々と説かれています。

 修行の方法として十二支縁起を観察する方法に、順観と逆観があります。
順観とは、無明に縁って行が生ずる、行に縁って識が生ずる、識に縁って
名色が生ずる、とその関係性を前述1)から12)に向かって観察して、最後
に老死があり、老死に縁って1)の無明(に戻り)、つまり全ての苦の集起が
あると観察する方法です。

 逆観とは、無明が消滅すれば行も消滅し、行が消滅すれば識が消滅し、識
が消滅すれば名色が消滅すると、とその関係性を前述1)から12)に向かっ
て観察して、最後に老死が消滅すれば1)の無明、つまり全ての苦の消滅が
あると観察する方法です。

 順観、逆観の両方向にわたって十二支縁起を観察して、人間のありように
関する因果の道理を明らかにし、その結果、苦悩の原因と因果の道理に対す
る無知を悟ると苦悩は消滅し、根元の無明が消滅するから輪廻転生もなくな
るという教えなのです。

 お釈迦さまの悟りである縁起の法の1つの展開であるこの十二支縁起に、
説一切有部は驚くべき教義を主張して、内容を改変してしまいます。
 それが三世両重の因果説です。三世両重の因果説は十二支縁起の12の条
件となる言葉と順序をそのまま受け継ぎ、その言葉の意味を胎生的に解釈し、
かつ過去、現在、未来の三世に重ねて教義を構成している。このため般若心
経で「無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽」と非常にわかりづらい
表現になっているのです。

 ここでは十二支縁起の1)無明と最後の12)老死のみを例示して説き、2)
から11)を省略しています。これは「十二支縁起は実在するものでなく、又、
一方では十二支縁起は迷いの中で尽きることがない」の意味になります。言
葉としては矛盾しますが、前者を説一切有部の三世両重の因果説としての十
二支縁起、後者を本来の十二支縁起として理解すると意味が分かります。
では三世両重の因果説とは、どんな教義なのでしょうか?

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