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般若心経の空とはなにか

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(21)説一切有部の「五位七十五法」と「三世実有・法体恒有」 その②

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(21)説一切有部の「五位七十五法」と「三世実有・法体恒有」 その②

「五位七十五法」と「三世実有・法体恒有」の2つは別々の教義でなく2つ
が一体となって実在の論理を構成しているものです。

  説一切有部は実体を75種に分け、75種の存在の要素はそれぞれ一つの実体
であると主張した。一つ一つの実体にはそれ自身の本質があり、他の者と共通
しないそれ自身の固有の特徴と作用を持っているとされた。

 説一切有部はこうした実体の認識を前提に「三世実有・法体恒有」という教
義を完成します。

 「三世実有・法体恒有」とは法(存在)の本体(75種の要素)は過去、現在、
未来の三世にわたって実在するという意味で、説一切有部の主要な教義になっ
た説です。

 これらの法の本体は恒常的な本質(自性)を保ちながら、いまだ生起あるい
は作用を終えていない状態が「未来」、現に生起あるいは作用しつつある状態が
「現在」、生起あるいは作用が終えた状態を「過去」とし、自己同一を保ったま
ま実在するとした。

 そして、実在するとした75種の本体は森羅万象を構成する要素であり、諸法
無我の無我説に抵触しないとしたのです。

 この「五位七十五法」「三世実有・法体恒有」が後述「三世両重の因果説」と
ともに説一切有部が主張した実在説の主要教義なのです。

 私はこの実在説を書きながら、お釈迦さまが菩提樹の下で真理を得た時、そ
れを教えとして説きたいと思わなかったという伝説を思い出しました。

 長い長い輪廻転生の末に困苦して悟った真理は、言葉で表現しきれない甚深
微妙なもので、世間の人々の思慮を越えたものでした。言葉ではこの世の始ま
りと終わり、宇宙の果ての有無、霊魂の有無などを表現し、議論し、それなり
に結論づけることが出来ます。しかしその中で定義づけられた言葉は物事の実
体、あるいは真相を表現するものではないのです。私達が実体とか真相として
みているのは、「実体や真相として定義づけられた言葉の意味」を見ているだけ
なのです。

 言葉の意味は一人一人の知識、体験や歴史、民俗、時代によって異なってく
るものであり、唯一の実体や真相を表すものでありません。こうした言葉のも
つ感覚の世界に執着し、貪欲や憎しみにとらわれた世間の人々に、絶対的な真
理を伝えることは出来ないだろうとお釈迦さまは考えられたのです。

 伝説によれば娑婆世界の主、梵天は「この世には心の汚れが少ない人もいる。
彼らはお釈迦さまの教えを聞かなければ堕落してしまうが、聞けば真理を悟る
ことが出来るでしょう」と3度にわたり願いを繰り返したという。お釈迦さま
は仏眼をもって世間を見渡したところ、教化しがたい者もいるけど教化しやす
い者もいたので「耳ある者に不死の門は開かれた」といって、教えを説く決意
を梵天に告げたといわれる。

 説一切有部は教化し難い者であり、言葉にし難い真理を言葉をもって表現し
て教理の迷路に入り込んでしまったのです。だから般若心経を完成した聖者は、
「五位七十五法」と「三世実有・法体恒有」の論理に踏み込みませんでした。

その教理の元になった三科「五蘊」「十二処」「十八界」を「無色無受想行識」(無
五蘊)、「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法」(無十二処)、「無眼界乃至無意識界」
(十八界)と否定することでその論理を否定する意図を表現出来ると考えたの
です。

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