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般若心経の空とはなにか

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(18)般若心経に出てくる用語について、その⑦

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(18)般若心経に出てくる用語について、その⑦

三科としての五蘊、十二処、十八界
  一切法としての三科の意義と五蘊について前回(17)で説明しました。ここ
では十二処、十八界について述べます。

 バラモン思想には古代から感覚器官の眼、耳、鼻、舌、身、意を羅列して認
識の成り立ちを考察する思考法があったといわれます。部派仏教はそうしたバ
ラモン思想の思考法を取り入れて、仏教的に整理して十二処、十八界の教義を
うちたてました。これに五蘊を加えて、無常、苦、無我を説明するための3つ
の領域として「三科」と名付けて一切法の内容としたものです。

 処とか界は領域とか場所のことで感覚とか知覚を生ずる場のことです。
十二処とは次の六根(六内処)と六境(六外処)の総称です。根とは能力を
意味し、ここではその能力を有する器官のことです。

 六根とは眼、耳、鼻、舌、身、意です。眼根は視覚能力もしくは視覚器官。
耳根は聴覚。鼻根は嗅覚。舌根は味覚。身根は触覚についての能力ないし器官。
意根は前の五根が感覚能力であるのに対して知覚能力ないし知覚器官です。
この六つの器官にはそれに対応する色、声、香、味、触、法という六種の対
象があり、これを六境という。ここでいう色とは眼に映る色彩や形を意味しま
す。又、法とは六根の意によって認識される経験的事物のことです。

 六根と六境によって6種類の認識作用、つまり六識が生ずる。眼識、耳識、
鼻識、舌識、身識、意識で、六根、六境(十二処)と六識を合わせて十八界と
いう。

 人間の感覚的、知覚的な認識を前述五蘊と合わせて3つのカテゴリーに分類
し、さらに六種の要素に分析したもので、認識は3つのカテゴリーと六種の要
素によって成り立っているとするものです。

 この一切法としての三科とはお釈迦さまの教えではなく、部派仏教の中で最
も勢力をもった説一切有部が独自に構築した仏哲学、アビダルマです。説一切
有部はその後、お釈迦さまの教えから「涅槃の実在」を導き出し、お釈迦さま
の「実在の否定」を「実在の肯定」へ仏教教説の大転換を主張しはじめること
になります。

 それが「五科七十五法」で、一切法、つまりは三科の精密化、再構築なので
す。

 前述(17)で説明した般若心経の「~是故空中 無色無受想行識(無五蘊)
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(無十二処) 無眼界乃至無意識界(無十八
界)~」は三科の実在を否定するものですが、その意図する所は一切法として
三科をさらに精密化され再構築された、実在説の主要教議である「五位七十五
法」とそれが過去、現在、未来に渡り実在するとした「三世実有・法体恒有」
を否定するところにあるのです。

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