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般若心経の空とはなにか

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(17)般若心経に出てくる用語について、その⑥ 五蘊その2

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(17)般若心経に出てくる用語について、その⑥ 五蘊その2

部派仏教も説一切有部が大勢を示める時代になると、五蘊の意味が拡大され 変容していきます。

 部派仏教には一切法という用語があります。ここで法とは物質的、精神的な
諸要素、ひいては存在する事物を意味します。従って一切法とは物質的、精神
的なすべてのもの(すべての作られたもの、あるいはこの世の原因により生成
消滅するすべてのもの、あるいは原因の制約を受けない涅槃以外のすべて
のもの)ということです。

 一切法によれば、色蘊は肉体だけでなく物質世界のすべて、受想行識の行蘊
は受想以外の心的作用や心とは関係がない力や概念(天然、自然の現象や変化)
を包含するということになるので、五蘊は「この世の存在のすべて」を意味す
ることになります。そして一切法では無常、苦、無我を説明するための領域を3
つに分類して「三科」とするが、それがここで説明した五蘊と、十二処、十八
界をいうのです。

 私は五蘊についてここまで考えてきて、改めて確信出来たことがあります。般
若心経に出てくる五蘊には2つの意味があるということです。

 般若心経に書かれた2つの五蘊をここで比較のため抜き書きしてみます。
1つは「~照見五蘊皆空~」、「~色即是空 空即是色 受想行識亦復如是~」
で、ここでの五蘊は「空」であると説かれています。
ところが、その数行あとで次の様に説かれます。

 それは「~是故空中 無色無受想行識(無五蘊) 無眼耳鼻舌身意 無色声
香味触法(無十二処) 無眼界乃至無意識界(無十八界)~」です。
つまり「空の中では五蘊は無く、十二処は無く、十八界も無いのです」と、要
するに空の中では三科は存在しないと説かれている。

 同じ五蘊と表現しながら、上記前者と後者では明らかに異なった意味で説か
れております。

 前者はお釈迦さまが説かれた「肉体と心」という素朴で本来的な意味のもの
です。ここでは「肉体と心」は縁起的存在で「空」であると簡明に説かれてい
ます。

 後者は三科つまり、五蘊、十二処、十八界の中の1つ、五蘊を指しています。
そして「空の中では無五蘊~」と五蘊の実在性を否定します。無とは実在を意
味する「有」の対義語として非存在ないし虚無を意味するとともに、不とか非
と同様に否定辞としても用いられる言葉です。ここでは明らかに否定辞の無と
して用いられています。

前者では五蘊は空であると説かれ、後者では五蘊は空の中では実体として存
在しないと説かれているのです。この違いは後者では五蘊は実在する三科の1
つとしてとらえられていることに依ります。

 それでは何故、ここで五蘊を含む三科がこのように否定されているのか、次
回で考えてみます。

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