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般若心経の空とはなにか

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(16)般若心経に出てくる用語について、その⑤ 五蘊その1

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(16)般若心経に出てくる用語について、その⑤ 五蘊その1

お釈迦さまはバラモン思想にある、永遠不滅の主体アートマン「我」の終わりなき輪廻を否定しました。それ自体が固有の性質をもって永遠に輪廻を繰り返すとする「実在性」を否定したのです。

 「我」は縁起的存在であり、その有する原因(因)と条件(縁)により変化を繰り返すが、修行(智慧を完成する瞑想)によって永遠の寂静(涅槃、悟りの境地)に至るのだと、お釈迦さまは説かれたのです。

 「我」は過去、現在、未来にわたって輪廻を繰り返す存在だから、形而上の概念としての霊魂を含むものです。しかしお釈迦さまは形而上の課題について質問する弟子や修行者に応答することはありませんでした。これは当然のことで、悟りを得た者の瞑想の中にのみにその実相を現す現象を、言葉をもって、どんな厳密な表現で定義づけても、修行者を迷路に導くだけで、修行を妨げるのをお釈迦さまは良く知るからです。言葉というものの限界を私達はよくよく自覚すべきなのです。

 それではお釈迦さまが説法として霊魂を含む人間「我」の実在性を否定するのと、霊魂を除く肉体と心を持つ「人間」の実在性を否定するのとでは、縁起の理法の内容に違いがあるのでしょうか?。違いはないのです。お釈迦さまは説法においては、「人間」そのものの否定をもって「我」の否定を論理的に示したのだと考えるべきです。

 少し前置きが長くなりましたが五蘊に進みます。
お釈迦さまは弟子達に「人間は」、と説かれた。次に「人間」とは「肉体と心」と表現された。

 お釈迦さまが入滅されて仏教哲学(アビダルマ)が語られるようになると「肉体と心」は「肉体と心のはたらき」となり、さらに「肉体と心の4つのはたらき」と議論が深められた。五蘊という言葉はこうした経過をたどり仏教哲学の中で誕生したと考えられます。

 蘊とは集まりとか、全体を構成する部分のことです。五蘊とは人間の5つの構成要素のことで、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊つまり「色受想行識」のことです。
色とは感覚器官(眼、耳、鼻、舌、身、意)を備えた肉体です。受想行識は
心の働きを4つの階層に分けたものです。受は苦、楽、不苦不楽の三種の感覚
ないし感受作用です。想は感受した認識作用からその姿かたちの像や観念を受動的に受ける表象作用です。行は受けた表象作用に対して能動的に意志する働きあるいは衝動的な欲求です。識は能動的意志ないし衝動的欲求に基づく認識あるいは判断です。以上、心を4つのはたらきからなるとされた。

 このようにお釈迦さま以後の仏教は、人間を肉体(色)とそれを拠り所とする心の4つのはたらき(受想行識)からなるとみて、この5つにより1人の人間の存在全体を表し尽くすと考えるようになっていく訳です。

 それでは仏教の教えの説法として「人」ないし「人間」、「肉体と心」、「肉体と心の4つのはたらき」、「五蘊」には違いはあるのでしょうか?。私はいずれの表現をとっても本質的な違いはないと思います。違うと感ずる差異は説法を聞く側の理解度、言葉の論理的厳密さを求める論者の違いに依るものです。

 だから般若心経の冒頭にある「~照見五蘊皆空~」は、お釈迦さまの説法と異なるものでないのです。

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