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般若心経の空とはなにか

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(14)般若心経の用語について、その③菩薩、観自在菩薩

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(14)般若心経の用語について、その③菩薩、観自在菩薩

お釈迦さまが入滅されてから約400年後の紀元前後になると、部派仏教(小乗仏教)の中で上座部系教団の、説一切有部(すべてはあると説く教団)が勢力を伸ばして仏教の主流となっていた。説一切有部は一切の実在を否定する縁起の法に対して、「すべては有る」とする実在説を論証する「アビダルマ哲学」を完成させていた。

  大乗仏教の思想運動は、こうした部派仏教に対する批判運動として立ち上がってきたものでした。大乗とは言葉の意味としては「偉大な道」あるいは「大きな乗物」ですが、教義としては「菩薩としての道」を云います。

  仏伝文学の中で菩薩と云うのはお釈迦さまの前生のみでしたが、この文学上の架空の菩薩像を現実の菩薩として教義に取り入れたのは、般若経で空を説き大乗の先駆者となった神秘的瞑想を行ずる一群の修行者でした。

  彼等は瞑想の中で、あるいは夢の中で仏(悟った人)と会い、又、空中から仏の声を聞いた。こうした体験は現在、十方世界に存在する諸仏が、すべての人は大乗の菩薩道を追求することによって、無上にして完全な悟りを得て仏になることができることを保証していると理解されたのでした。

  この体験をもとに、大乗仏教最大の特徴である「新たに生まれた」数々の大乗経典を、お釈迦さま入滅されて数百年後の弟子が制作した論書でなく、あくまで「仏説」と受け取る態度は、そうした菩薩意義の芽生えによって可能になったといわれます。こうして紀元後一世紀以後に般若経、維摩経、法華経、華厳経、無量寿経などの初期大乗経典が編集されていったのです。

  大乗仏教では菩薩のはたらきをどのように理解されていたのでしょうか。以下、「龍樹。空の論理と菩薩の道」瓜生津隆真著(大法輪閣)より引用します。

  「般若とは絶対的真実(空)を直観的、直証的かつ総合的に感取する智慧です。方便とは般若の智慧に内在してはたらく、衆生を巧みに導く方法やすぐれた世俗的智慧です。菩薩には般若の智慧とすぐれた方便がそなわっている。般若の智慧はそのまま方便の智慧となり、方便の智慧は般若の智慧により、巧みなはたらきをする。だから、菩薩は世間において衆生救済の活動しながら、一切のとらわれを離れて世間に埋没することがない。無明と苦の中にあってそれに溺れることなく、煩悩の中にあってそれに汚されない。そして、菩薩は永遠の寂静に身を沈めようとしない。苦海の波高きところに身を留め、いかなる苦難も甘受してやまない。菩薩は般若に内在する方便によって、一切衆生と共に生死の苦を受ける。苦と共に生きる故に、菩薩は生の意味を知ることができる。もしこのような現実に生きることがなかったら、菩薩の方便は単なる抽象となり、何の力もないものとなってしまう。菩薩の誓願も願望以上のものでなくなってしまうだろう。」

  こうして菩薩は慈悲と救済を特色としたサンスクリット語に由来する「観世音菩薩」、「観音菩薩」あるいは「観自在菩薩」(全て同じ言葉の漢約)と名づけられ、高められて、大乗仏教における主要な教義になっていきました。

  このような菩薩教義の成り立ちを考えると、般若心経冒頭の「観自在菩薩」とは、悟りを得て仏になる前の修行者としてお釈迦さまと考えて間違いないでしょう。

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