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般若心経の空とはなにか

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(13)般若心経の用語について、その② 菩薩と阿羅漢

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(13)般若心経の用語について、その② 菩薩と阿羅漢

菩薩とはサンスクリット語の「ボディーサットヴァ」の訳語で、悟り(ボディー、菩提)を求める衆生(サットヴァ、薩埵)、つまり菩提薩埵を短縮した音写語です。

  菩薩はもともと、ジャータカと云う仏伝文学におけるお釈迦さまの前生を指す言葉でした。お釈迦さまが入滅されてから弟子達は悟りを求めて修行したが、中々、成道を得たと云う者が現われなかった。そこで当時の弟子達は、お釈迦さまは何代にもわたり修行を続け、前生において数々の生きとして生きるものを救うと云う善行を積ねていたため、今生の最後の修行で成道された、つまり悟りを得たのだと考えた。その善行を集めた物語が仏伝文学で、お釈迦さまのその前生における姿が菩薩です。

  ジャータカは本来は特別な形式と内容をそなえた古い文学のジャンルの名称で、イソップ物語など後世の世界各地の文学に影響を及ぼした。それが仏教に取り入れられて仏伝文学となり、お釈迦さまの前世譚とされ、その姿に菩薩と名付けられたのです。

  大乗仏教誕生前の部派仏教(小乗仏教)において、お釈迦さまが前生でなしたとされる善行や自己犠牲は「菩薩行」とされ、それを完成して成道を得るのは前生で菩薩行を完成したお釈迦さまのような限られた人のみとされた。

 そして一般の修行者が目指し得る現実的な最高の目標は阿羅漢とされ、後に「四向四果」と云う修行者の段位を定めた。預流(聖者の流れに入ること)、一来(1回だけ人と天の間を往来して悟りに至る位)、不還(欲界に再び還らず、色界に上がって悟りに至る位)、阿羅漢の4つの段位で、それぞれ特定(4つの段位へ)の果に向う段階の「向」と、到達した境地を示す「果」を付した。つまり預流向と預流果、一来向と一来果、不還向と不還果、阿羅漢向と阿羅漢果の八段位です。阿羅漢は「供養に価する尊い人」の意味で、部派仏教修行者が到達し得る最高位でした。

  お釈迦さまは阿羅漢よりはるかに優れた方で、凡夫が修行しても到達できない高みにある。無始の過去から無限の長い時間を輪廻し、修行を重ねて成道された。この世で初めて仏道を開いて修行をはじめた者は、なれたとしても阿羅漢になれるだけで、とうていお釈迦さまのようになれないと考えたのです。

  (4)回目のNHKテレビテキストで、佐々木閖氏が同書P23に「ブッタと呼ばれる存在は世界でたった一人、つまり同時に二人以上のブッタは世に現れないという決まりになっているからです」とあるのは、この部派仏教の阿羅漢を含む四向四果の事を云ってるのでしょうか?

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