私は仏教について専門的知識を教育された事はありません。敬愛する兄の若
すぎる死(42才)を契機に、折りにふれ仏教書を読み学んできた一市井人です。
その中で比較的早い時期(30代)から仏教の真髄は「般若心経」にあると
気付き以来30年以上考えてきました。そして「般若心経」を深く考えるきっか
けになったのは「般若心経には論争の痕跡がある」と云う話でした。私はそこ
で「般若心経」と云う窓からお釈迦さまの教え、仏教の本質を考えてきました。
仏教教学上の根本的論争と云えば、私達の存在に関する認識論、つまり実在論
「有」、虚無論「無」、「空」以外にあり得ない。
その中で「無」は1つの考え方としてあり得ますが、現実の仏教論争において
「有」と「空」に対抗するだけの根拠をもって論じられた事はないようです。
お釈迦さまとほぼ同じ時代、ガンジス河中流地域のマガタ地方で活動した6
人の思想家がおります。仏教修行者でないので「六師外道」と云われました。
この6人の内、4人は明らかな実在説「有」の立場にあります。他の1人サン
ジャヤ・ベーランティブッタは形面上学的問題について確定的な解答を避けた
ので懐疑論者あるいは不可知論者と云われた。しかしその教団の有力な弟子で
あった舎利子、目蓮は同門の250人を引き連れてお釈迦さまの教えに帰依した
ため、その懐疑論の開祖は発狂して亡くなったと云われる。
6人の内の残りの1人、プーラナ・カッサパは道徳否定論者で、善業や悪業、
積徳や積悪徳にも何の果報なく、死によって一切は消滅すると説いた。6人の
内、この1人だけが虚無論つまり「無」を主張したと云えるが、本人自身は極
めて道徳的で悪業や悪徳に程遠い人だったと云われます。
このように考え方として実在論「有」と虚無論「無」が対立する概念があり
ますが、「無」が主要な論点であった事はなく、仏教教学上の主要な対立概念は
「有」と「空」でした。
お釈迦さまが入滅されてから、仏教は800年にもわたり「有」と「空」をめ
ぐって変転して来たが、その論争に結着つけたのが「般若心経」なのだ、と私
は考えたのです。