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般若心経の空とはなにか

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私の般若心経の解釈について その9

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私の般若心経の解釈について その9

「その1」から前回の「その8」で私の小冊子『般若心経の空とはなにか、- お釈迦さまの悟りと龍樹による再生、般若心経を完成した聖者の真意 -』に書いた、般若心経そのものを再掲する形で解説をしました。
 そこでまとめとして、小冊子の起承転結に分解した般若心経とその全訳を掲載します。



           摩訶般若波羅蜜多心経


起    観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

承 一節 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想

行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄

不増不減

  二節 是故空中
 
無色無受想行識

  無眼耳鼻舌身意

  無色声香味触法

  無眼界乃至無意識界

  無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽

  無苦集滅道

転 一節 無智亦無得 以無所得故 菩提薩た 依般若波羅蜜多故

     心無けい礙 無けい礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想

     究竟涅槃

  二節 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

結 一節 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪

     是無等等呪 能除一切苦 真実不虚

二節 故説般若波羅蜜多呪 即説呪白 羯諦 羯諦 波羅羯諦

     波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

(ひらがな記載の部分は漢字入力をすると文字化けするためです)



全   訳


起    観自在菩薩は般若波羅蜜多を深く行じていた時、全ての存在の要素が空であることを、ありありと見て、一切の苦しみと厄から解放されて、救われたのである。

承 1節 舎利子よ、色は空と異なるものでなく、空は色と異なるものでもない。色はすなわち空であり、空はすなわち色である。受想行識と空との関係もまた、色と空の関係と同じなのだ。
舎利子よ、諸々の存在の要素は空の性質を持つものだから、実在する要素から生れ出てくるものでなく、虚無の彼方へ滅していくものでもない。それ自体はよごれているものでなく、きよらかなものでもない。実在する要素から増加したわけでもなく、減少したわけでもない。

承 2節 こうした理由で、空の中では五蘊、六根、六境、六識という存在の要素は実在するものではない。十二支縁起も実在するということはなく、十二の支分そのものは迷いの中で尽きることがない。存在の要素が実在するという論理のもとでは、四聖諦も成り立たないのである。

転 1節 実在論を説く智には智慧としてのはたらきはなく、涅槃に到る道筋もない。一切皆空という智慧と涅槃を受け入れる依りどころがないからである。だから、修行者は般若波羅蜜多の行により心にこだわりがない。心にこだわりがないから、いつ果てるともない苦悩の輪廻に対する恐れをもつことから解放され、すべての要素は実在するという真理からまるで顛倒した論理と、その論理にもとづく夢想のような教えから遠く離れて、究極の涅槃にたどりつくのである。

転 2節 かの三世に遍在する幾多の諸仏も般若波羅蜜多の行により、無上にして完全な悟りを得たのだ。

結 1節 故にここに、般若波羅蜜多の呪の価値を知る。是れは大神呪であり、大明呪であり、無上呪であり、無等等呪である。能く一切の苦を取り除き、真実にして虚しいことはないのである。

結 2節 故に般若波羅蜜多の呪を説く。すなわち呪を説いていわく、ギャー、ギャテー、ハラギャテー、ハラソーギャテー、ボージソワカ、般若心経

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