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般若心経の空とはなにか

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民族としての自画像 その2

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民族としての自画像 その2

 10日程前、青森市の喫茶店で地元の「東奥日報」をめくっていた所、「ニッポン近代考、歩み来て、未来へ」という共同通信の署名記事が目にとまりました。1930年代日本の養殖真珠が天然真珠の主産地ペルシャ湾岸のアラブ社会に与えた衝撃と、最近における日本の真珠養殖技術の導入をめぐる話題を取りあげている。
 この記事の中に出てくる75才の老人が子供の頃、次のような話を聞いたという。1930年代後半「大人たちが暗い表情で話し込むようになった。聞いたこともない東洋の国から多くの真珠が世界に流れ出したと、父が教えてくれた。ニッポンという国の名を不思議な気持ちで聞いた」
 何げなく読み進んでいいはずなのですが私には妙に引っかかりのある表現がありました。それは「聞いたこともない東洋の国~、ニッポンという国の名~」です。
 アラブ諸国、アラブ地域は日本にとって石油の輸入で取引があるだけで、今でも心理的にアフリカ諸国とならぶ未知の国です。現代のアラブ諸国にとっても日本は経済大国とは云え、未知の国でしょう。
 そこでこの記事で疑問に思うのは「聞いたこともない東洋の国、ニッポン」という表現が、取材した老人が云ったのか、あるいは老人の父親がたしかに云った言葉なのか、という事です。もっとはっきり云うと取材した共同通信記者が、現代のアラブ諸国と日本との関係をふまえて想像した創作でないのか、ということです。

 時代が、老人の祖父の時代、1906年にさかのぼります。丁度、日露戦争の真只中、この中東地域を旅して「シリア紀行」(東洋文庫)という旅行記を書いた英国の女性旅行家イザベラ・バードという人がおります。この中に不思議な体験談が記されています。この時代のアラブはほとんど遊牧の生活をしており、砂漠に孤立して点在して生活してました。テレビは勿論、ラジオ、新聞もないこのアラブ遊牧民の当時の最大の話題は日露戦争だったそうです。聞いた事もないニッポンという有色の小さな東洋の国が、当時の世界最大の軍備を有するロシアに果敢に戦いを挑み、大陸で、又海で次々に破り、撃破していく様子に大きな関心を持っていたようです。戦いの経過について、どのような情報伝達手段が働いていたか不明ですが、当時としては驚くべき早さで、砂漠に点在する集落に伝播していたという。
 そして、小さな有色人種の民族が、このような戦いを出来るのは「神の加護」つまりイスラムの「アッラー」の加護があるからで、日本人、とりわけ日本の皇帝はイスラムに違いない、という話がアラブ世界に広まったといわれる。徐々に普及していた教科書には当時アラブ世界で著名な詩人による、日本人の従軍看護婦の詩が掲載されていたという。

 10年程前であったか、ゴラン高原に国連の平和維持軍として日本の自衛隊が派遣された時のことです。当時のシリアのアサド大統領はアラブの過激派の各集団に「日本の軍人に攻撃を加えてはならない」という強い警告を発した事がありました。多分、アサド大統領の父親は日露戦争の従軍看護婦の詩が掲載された歴史教科書で学んだ人で、大統領はそんな父親に啓発されて親日的になり、過激派への警告を発したのでしょう。そのように考えないと、アサド大統領の警告の意味が全く不明になります。

 1930年代には「ニッポン」という存在はアラブ世界においてかなり知られていたはずで「聞いたこともない東洋のくに」ではなかったのです。こうした事実について記者が少しでも知識があれば、この記事は違った論調になっていたことでしょう。
 ここにも、前回紹介したハンガリー出身の天才的彫刻家、ワグナー・ナンドールと同じ、日本民族の自画像が見てとれます。

 このような話は、関心をもって本屋の書棚を見てるといくらでもありますが、もう一つ感動的な話を紹介します。昨年、映画化されて話題になった第一次大戦で、中国、山東半島、青島で日本軍の捕虜となり徳島県、板東に収容されたドイツ軍兵士にまつわる話です。収容された捕虜の内、終戦時迄病気などで亡くなった11人に慰霊碑が建立された。
 この慰霊碑が建立されたのが1919年だったが、第二次大戦をはさみ人々の記憶から消えて雑草に覆われていたのを近所に住む主婦が、1947年(昭和22年)山で薪を集めて帰る途中、発見した。ソ連軍の捕虜となりながらも無事帰国した夫からそれは客死したドイツ兵のものだと教えられ、人ごととは思えず草を刈り、落ち葉を取り除き線香を供え続けたという。

 1960年(昭和35年)になって新聞に報道され、ただちに当時の西ドイツの駐日大使が知る事となった。墓まいりのため板東にウィルヘルム・ハース夫妻、ベーグナー神戸領事夫妻が訪れた。ハース大使は主婦高橋春枝さんに感謝状を手渡した。ハースは背をかがめ、春枝の小さな手をギュッと握ると「アリガト・・・」と日本語で言ったきり絶句した。
 ひとりの日本人女性がひっそり13年間続けてきた無償の行為に対し、ドイツ国民を代表してできるだけ丁寧に礼を述べるつもりだったが、表しきれない感動がこみ上げて言葉を失ったのだと、このエピソードを紹介する著者は述べてます。

 もし雑草に埋もれた不幸に客死した外国人の墓を見つけたら、大抵の日本人は放置せず、この高橋春枝さんと同じ行動を取るでしょう。日本人としては事さら異例でない、その行動に、一国を代表する大使がこれ程まで感動するのです。

 私はここで日本人のもつ、慎み深く美しい性格と、その事に不幸にも客死した兵士のため国を代表してこれ程の感動をもって感謝する民族の性格に心うたれます。民族性、国民性とは、その民族、国民一人一人の自画像の一面だとつくづく思います。

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