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般若心経の空とはなにか

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民族としての自画像

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民族としての自画像

 「ドナウの叫び、ワグナー・ナンドール物語」(訳 下村徹、幻冬舎)は第一次大戦、第二次大戦、そしてハンガリー動乱の中で過酷な運命に翻弄されながら生きぬいた天才的ハンガリーの彫刻家の物語です。軍人としても顕著な功績をあげ、ハンガリー動乱の際、その人望から12人の革命委員会の代表に選ばれたが、そのため亡命生活を余儀なくされた。
 中年になって亡命先スウェーデンで知りあった日本人女性と結婚して益子町に移り住み彫刻の制作に励んだ。その後日本に帰化したが、故国ハンガリーでは彼の作品は高く評価され、首都ブダペストの王宮の横、世界遺産のゲレルトの丘にも建立されている。
 本の題名「ドナウの叫び」とは日本をこよなく愛するハンガリー人彫刻家の「日本人への叫び」「日本人への呼びかけ」の意味のようです。
 彼の祖父、ワグナー・ウィルヘルムはオーストリア・ハンガリー帝国皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世の待従武官長でした。彼は祖父に日露戦争について色々、聞かされていた。

 「足元に横たわる愛犬マルティの頭をなでながら、マルティは大きい犬だけど、マルティがずーっと大きい熊と戦って勝ったようなものだよ」
 「なぜ勝てたのか?」
 「日本にはトーゴーとかノギとか偉い将軍がいたことが勝った理由とされるが、その根本には、日本にブシドーというものがあったからだと云われている」
 「ブシとは戦士を意味し、ドーとはあるべき姿を意味する。戦士は強くなければならないが、ただ強いだけでは駄目だと説いてるんだ」
 「例えば、トーゴー元師は、勝利が決まって戦闘が終わると、海に浮くロシア水兵の救助に全力をあげ、さらに後日、負傷したバルチック艦隊司令官を病院に自ら足を運んで見舞っている。ノギ将軍は、会見の際に敗れた敵将のステッセルに帯刀を許し、日本将兵の慰霊式典により先に、敵であったロシア軍将兵の慰霊行事を行ったんだ。これが武士道というものだ。」
 
 ワグナー・ナンドールは幼い頃、よく分からないが祖父の話に、何か胸が熱くなるような感動を覚えていたという。そしてハンガリー人(マジャール人)は周辺の民族とは全く違っていて、遠い昔に東洋から西に移ったのがマジャール人、東に移動していったのが日本人になったと教えられたという。

 「僕たちと日本人は親類なんだよね」

 こうした話を祖父から繰り返し聞きながら少年時代を過ごしたという。
 父には医学生としてドイツのハイデルベルグに留学していた時に親しくなった日本人がいた。父親はこの日本人留学生の生活態度のすばらしさに驚倒し、ナンドールが子供の頃、いたずらするといつも

 「そんなことでは日本に行けないぞ」
 「そんなことでは日本人になれないぞ」
 と云って叱ったという。

 又、ナンドールは日本人女性、千代と結婚し、日本に移住したいのだがと母親に訪ねた時の事です。当時の共産党政権下で貧しい境遇を余儀なくされ、未亡人になっていた中で千代に次のように云ったという。

 「息子のナンドールは、日本に住んでも、決して日本の方々にご迷惑をかけるようなことはないと思います」

 父も母も日本を深く尊敬していたのです。
 こうした祖父、父、母のもとに育ったナンドールは日本人に何を叫んだのでしょうか。

 「敗戦の衝撃で、日本人は自信を失い、日本古来の良いものをすべて否定してしまっているようなのが、まことに残念です。信義、礼節、もののあわれ、弱者や敗者への思いやり、高い道徳性などのすばらしい日本古来の良いものを、早く取り戻してほしい。」

 そして彼の作品の中には日露戦争での将軍のふるまい、父を驚嘆させた日本人留学生、太平洋戦争で家族と祖国のために命を捧げた幾多の兵士の姿を重ねたものがあると云う。

 「賢い日本人のことだ、やがて日本の若い世代は、現状に満足せず、日本古来の良いものを復活させてくれるものと信じて疑わない」と云う。

 ワグナー・ナンドールと云う「日本人」は、最後まで日本を愛し、憂い、そして信じて、この世を去っていった。

 現代の日本人の多くは、歴史というものは一つの法則性をもって進むという類のイデオロギーで考えるので、歴史を事実そのものとして受け入れるというより一つの偏光した鏡をもって「自画像としての日本」を見てるようです。その中でこのハンガリー人の人生と日本と日本人への思いは感動的です。
 日本人は他の国の人々に比べて、「日本人論」が好きだと揶揄するような人がたまにいます。しかし「自画像」というものは大切です。民族に限らず、個人としての自画像はさらに大切です。個人としての自画像は民族、国民国家というマスとしての自画像の投影でもあります。このように考える人が多いので外国人が書いた日本人論の類の本が数多く出版されるのでないでしょうか。とすれば、これは揶揄するものでなく、自分発見、自己開発という人間としての生き方の真面目さを表すもので、日本人の美点として誇るべきものでないでしょうか。
 なぜなら、それは一人一人のあらゆる可能性を示唆する般若心経の空の真理を担った生き方だからです。

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