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般若心経の空とはなにか

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アニミズム(自然崇拝、精霊崇拝) その2

 前回(11月7日)に続き、「般若心経の空とはなにか-お釈迦さまの悟りと龍樹の再生、般若心経を完成した聖者-」の二章般若心経が成立するまでの歴史的経緯、(11)入滅の3節を掲載します。

縄文文化の自然観

 私は平成五年から九年にかけて、縄文遺跡で有名になった青森市の三内丸山遺跡の映画作りの企画制作にかかわった。この活動の中で興味深い知識を学んだ。
 哲学者梅原猛は推古九年(601年)、藤原不比等によって完成された律令国家の建設はひとつの新しい国づくりであったが、最初の日本の国づくりでなかったとして、その前にすでに一巡の歴史を終えたもう一つの日本、縄文時代があったと述べている。
 日本文化はインド文化、中国文化、朝鮮文化のいずれとも異なるが、それは文化の深層に縄文文化があるからだという。
 縄文文化は一万年にもわたって、多くの人類が捨てようとした狩猟採集生活を最高度に発展させた独自の文化であり、先進農業国であった東アジアの国々から生産形態や政治組織を学んだが、風俗、習慣、言葉、宗教などは土着のこの文化に負っている。
後世の弥生文化、古墳文化、律令文化、王朝文化、武家文化は全て縄文文化の上に築かれ、その影響を受けており、その意味で日本文化の基層をなしており、基層文化だという。
 近代化し、科学技術、マネージメントにおいて世界で最もすぐれた成果を達成しつつある今日なお、文化の特異性がきわだつのは、基層文化としての縄文文化に由来する、と主張されている。
 文献のない先史時代の精神的形態を復元するのは容易なことでないが、梅原猛によれば、アイヌ文化に極めて有力な手がかりがある、という。アイヌは江戸時代まで蝦夷と呼ばれていたが、縄文人の末裔と考えられるからである。
 アイヌの信仰によれば万物は生死の循環の中にある。
 太陽は朝生まれて夕方死ぬ。
 月は満ち欠けにより生死を繰り返す。
 草木は冬に死に、春によみがえるのである。
 人間や動物の霊も同じことで、天と地の間を無限の循環を繰り返している。
 また、アイヌ文化には人間は動物、植物の生命より優れているとか、優先させるという考えがない。人間と動物、植物を差別して人間にその生殺与奪の特権を与え、無惨に動物を殺戮し、無意味に植物を伐り倒すのを容認する考え方はないのである。人間、動物のみならず山川草木さえも同じものであるから差別はなく共生するという思想である。
 こうした縄文人の世界観、「無限の循環」と「無差別の共生」はお釈迦さまが菩提樹の下で成道された時の観想、「悉有仏性」と同じ範疇のことではないだろうか。
 また、考古学者佐原真は縄文人の骨に刀傷が非常に少ないことに着目し、縄文時代は戦いが少なく平和であったという考察を特に重視している。
 台湾の作家黄文雄は「空間の無限性」「空間の有限性」という言葉で、縄文文化に極めて興味深い文明史的意義を認めている。
 西欧文明の母胎となった古代メソポタミア文明は大陸の広大な中原に誕生したので、土地や資源はいくらでもあるという「空間の無限性」を前提とした。これで進歩、自然開発、戦いが文明発展の理念となり、現代の環境破壊、飢餓、終わりなき戦争などの根本的な原因となった。縄文文化は島国という四方を海にかこまれた「空間の定量性」を前提とした文化であったため、循環、共生、平和という西欧文明とは相反する思想が生まれ育ったのである。今日、縄文文化が極めて重大な文明史的意義を帯びてきたのは、地球そのものの有限性、つまり「地球的規模での空間の定量性」が意識されはじめたからなのである。
 私達日本人のアニミズム的感性は、縄文時代という一万年にもわたる島国という、定量空間ではぐくまれてきたものである。こうした感性は、今日、世界的規模で解決をせまられている環境破壊の防止と改善に必ず貢献する人類社会の貴重な資産であると私は信じている。
                        (冊子の中で敬称は省略しています。) 

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