バターチャーラー比丘尼はお釈迦さまから言葉により、さらに形象により教え
をさずけられていた。二人の子供、夫、両親の死の原因を数え上げたり、苦悩や
憎悪について論争したわけでもない。お釈迦さまから修行に必要な知識と知恵を
得て、解脱に至る教えをおりにふれてさずけられて、素直に実践していただけで
した。
ある日お釈迦さまはバターチャーラー比丘尼の修行者としての向上を認めて、
思念により悟りに至る真理を伝達した。丁度、現代の光通信網が莫大な情報量を
一瞬の内に送信するように、解脱に至る最後の真理を伝えられたのです。
バターチャーラー比丘尼は、不幸な事件で二人の子供を失った母親、非業の死
をとげた男の妻、悲惨な人生の幕を閉じた両親の娘、狂気となり下衣を着けず
村々をさまよった女、という差別と形容から解放された真実の姿を、水辺に映る
おのれの姿に見た。足を洗った水が高きより低きに流れるのに自然の摂理を感じ
た。そして精舎の自室のベットに座っていた夜更けに、灯火が静かに火を落して
消えていった時、お釈迦さまが説かれる燃えつきた五蘊の意味に気付き、縁起の
法を感取して解脱したのです。
お釈迦さまの思念による縁起の法の伝達は、バターチャーラー比丘尼のような
解脱者(ブッダ)を少なからず生み出していったのではないでしょうか。その解
脱者による縁起の法の思念による伝達はさらにその弟子へと伝達されていったのではないでしょうか。
彼等が仏教史に残る活動を公然と再開したのは、お釈迦さま入滅されて400
年後に、「説一切有部」が実在説を説き、仏教教団の主流となった時でした。
彼等は「般若経」で「空」を説き、「説一切有部」の実在説に対抗したのです。