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般若心経の空とはなにか

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(8) お釈迦さまの悟り「縁起の法」とは何か その③

前回、禅宗の「無」の意義を説明する都合上、いきなり「空」に飛んでしま
いました。ここで、もう一度「縁起の法」に戻ります。

 時々、高名の宗教家や仏教学者が、輪廻転生や霊的存在を否定するのを著書で
読む事があります。理由として「お釈迦さまは否定した」とか「お釈迦さまは説
く事はなかった」と話します。

 その言説はお釈迦さまの真意に全く当てはまらない事は前回(6)と(7)でお
わかりになったと思います。

 ここで、お釈迦さまのもとで悟りを得たバターチャーラー比丘尼について紹介
します。(前記梶山雄一著書より)

 バターチャーラーは二人の子供、夫、両親を悲惨な事件によって次々と失った
女性です。狂気のように下衣を着けず歩きまわったが、お釈迦さまに救われて出
家、比丘尼になった人です。

 「彼女はある日、水辺に映るおのれの姿をじっと見つめた。やがて足を洗った
水が高きより低きに流れ、消えていくのを眺めていた。その後彼女は灯火をとっ
て精舎の自室に戻り、ベットの上に座り続けた。夜も更けて彼女は灯心を掻き下
げた。火が消えたとき、彼女は解脱した。」
 以下、私の感想です。

 バターチャーラー比丘尼は修行として、悲惨な死をとげた二人の子供、夫、両
親、そして自分の人生の原因(因)と条件(縁)を思考して数えあげただけだろ
うか?。何百何千もの煩悩を調べあげて、苦しみ悩みの根元を考え知ろうとした
のだろうか?苦しみと悩み、憎悪について他の修行者と論争し解釈したのだろう
か?

 こうした事を考えると、私は人から人へ思考を伝達する3つの方法についてふ
れざるを得ない。
 チベット仏教には宗教上の真理や教えを弟子達に伝える三つの方法があると
云われる。「言葉による伝達」、「形象による伝達」、「思念による伝達」です。
 言葉による伝達は、言葉そのものがそれを発する人の人格や体験に制約される
ので伝達の方法として、不完全で最も下位に位置づけられる。

 形象による伝達は、例えば紋章(菊や葵の紋章等)昔話、習慣(春の七草等)、
仏像を含む各種の像等さまざまあります。例えば葵の紋章を見ただけで徳川家の
歴史や政治など、詳しい人は何冊もの本に掲載出来る程の記憶、知識を他の人に
語り伝達出来るでしょう。しかしそれでも思念による伝達に及ばない。

 思念による伝達とは、いわばテレパシーによる伝達です。
お釈迦さまはこの世の森羅万象に精通しているだけでなく、いかなる表現や無数
のことばによっても表現出来ない心象「悟り」を完成された方です。お釈迦さま
が、ある高みの修行の領域に達した弟子に、悟りの心象を伝達する方法は「思念
による伝達」以外にないのです。

 お釈迦さまはその弟子に向って一瞬の間に、自からの内なる森羅万象、悟りの
内容を思念により伝達されていたのではないでしょうか。

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