私(武田)のお釈迦さまの教えに関する知識は全て、梶山雄一著「空の思想、仏教における言葉と沈黙」(人文書院)に依っている。本書は絶版になているが、以下、縁起について本書から引用して紹介します。
縁起とは全ての物事は「縁によって生じ、縁によって滅す」と云う事です。言葉で表現が難しいこの真理について、お釈迦さまが弟子たちに説かれた有名な喩え話があります。「毒矢の喩え」「火の喩え」などで、ここで「火の喩え」を紹介します。
お釈迦さま説法
尊者マールンキャはブッダに問うた。
「世界は常住であるか、無常であるか?
世界は無辺であるか、有辺であるか?
霊魂と身体は同一であるか、別異であるか?
如来は死後存続するか、存続しないのか?」
当時の宗教家、思想家はこうした形而上学的問題に悩んでいた。お釈迦さまは「毒矢の喩え」を説き、そうした問いに答えず「自分の説かないことに惑わされず、自分の説いたことを修行せよ」と云って意見を述べなかった。
マールンキャと同様の形而上学的問題についての質問にブッダが意見を述べないのに対して、ヴァンチャゴッタは落胆して、ブッダに信頼を失ったと申し上げた。そこで、ブッダは「火の喩え」をもって反問する。
<ブッダ>
お前の前に火が燃えているとせよ。ひとが「この火は何に縁って燃えるのか」と問うならば、お前はどう答えるか。
<ヴァンチャゴッダ>
この火は草や薪によって燃える、と答えましょう。
<ブッダ>
その火が消えたとして、その火はここからどちらへ去ったのか。
東、西、北、あるいは南へなのか。
<ヴァンチャゴッダ>
そうは云えません。実にその火は草や薪によって燃えているので、他の草や薪が加えられなければ食無くして消えてしまうだけなのです。
<ブッダ>
如来は物と心(五蘊)とのいずれよりも解放されているのであって、その死後どこかに行くのでもなく、行かないものでもない。根を断たれ本を抜かれたターラ樹のように非有に帰せられ、生じないものとなるだけである。