先日、新聞を読んでいたら、「疑似科学やオカルト・・・」という表題の記事があった。「なぜ、だまされるのか」「欲得ずく、思い込みが落とし穴」との副題もありました。ある大学の先生がスプーン曲げと霊について話しているもので、要旨は次のようなものでした。
「スプーン曲げは支点、力点、作用点をうまく利用すれば、誰でも簡単に出来ます」。「スプーン曲げが念力で出来るのであれば、どうして金属加工技術として役立てないのか。そんな能力をもった人を生産ラインにずらり並べれば、次々と金属加工が施され、たちまち製品が出来る」という。
また霊についても「悪霊のたたり」との関連で、こんな事も云うのです。「もし、霊が目に見えるものであれば、霊そのものが光を発しているか反射しているはず。たたるには記憶や認識といった高度の仕組みを持った有機体でなければならない。霊を信じるかどうかは個人の自由だが、科学的な意味で存在し得ない、と断言する」。
結論として「楽しく得を取りたいという欲得と思い込み、それに非合理的思考が結合する時、人はとめどなく危ういだましの深みにはまっていくと警告する」とある。
「念の力」とか「霊」に関する、まことに遠慮のない意見です。私はこの記事を読んで、一時、テレビをにぎわした大学教授の事を思い出しました。教授はご自分の研究分野であるプラズマにより「人魂」現象を発現させて、「人魂とはプラズマです」という研究発表をしました。そこまではいいのですが、UFOと宇宙人の専門家と自称する雑誌編集者と、UFOと宇宙人について議論する番組に出てきました。教授は「科学者の立場」で反論してました。教授本人は真面目なのか、テレビ編成者の意図に乗って演じているだけなのか不明ですが、テレビ視聴者からみれば、まるでマンガでした。しかし、「科学者」と自認する人のセンスが見えかくれしていて、その点が面白かったです。
「科学」はこの世の中の万能の尺度で、それにはずれた現象、事物は一切認めないというセンスです。科学は神であり、科学に反する現象は認めない、科学に反する理解の仕方は神に対する冒涜であるが如きに断罪、断言する立場です。
次回、この新聞記事について私の意見を述べてみたいと思います。