若くして病にたおれた兄忠一(享年42才)は読書家で、書棚に文学書も多かった。私は高校生の頃、勝手に持ち出しては読んでいました。
その中で意味が良く分からないまま何か惹かれて、折にふれ思い起こして考えさせられた本の一節がありました。
「車輪の下」等で良く知られたドイツ人の作家、ヘルマン・ヘッセの「内面への道」です。
この本の巻頭に「内面への道」と題された次の詩が掲載されている。
内面への道
内面への道を見いだしたものには
熱烈な自己沈潜のうちに
知恵の核心を、つまりは、
自分の心は、神と世界を形象として比喩として選ぶにすぎぬ、
ということをほのかに感じるものには、
すべての行為と思考とは、
世界と神とを含む自己の魂との対話となる。
高橋健二訳「ヘルマン・ヘッセ特集、夜の慰め」より
西欧人として欠かせない絶対的存在としての「神」を包含するものですが、この世の全ては自己の心(識)の中に存在し、その幻影をみているに過ぎないというこの詩は、唯識の教義の真髄を的確に表現するのではないか、と思うのです。
勿論、その事に気付いたのは高校生の時代から数十年経ち、仏教書を読み始めてからの事です。
ヘッセは仏教にも造詣が深かったと云われますから、唯識の教義に感銘して、この詩を書き残したのでしょう。
そんな訳で唯識の教義は西欧の知識人によく知られていたと考えられるので、深層心理学、潜在心理学の誕生に影響を与えたのではと私は思った訳です。
それにしても、今こうして改めて「内面への道」の詩を読んでみると、偉大な作家であり詩人でもある、ヘルマン・ヘッセの感性に尊敬の念を深く感じます。