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般若心経の空とはなにか

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魂と輪廻 その2

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魂と輪廻 その2

 私の冊子「般若心経の空とはなにか。-お釈迦さまの悟りと龍樹の再生、般若心経を完成した聖者」で、般若心経を文章として理解するため、般若心経を「起承転結」に区分し、かつ「承転結」を一節と二節に分けた。この二節は一節を補強し、又強調する事により文章を明瞭にしている。
 この中で「転、一節」は次の経文が区分されている。
 「転 一節 無智亦無得 以無所得故 菩提薩た 依般若波羅蜜多故 心無けい礙 無けい礙故       無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究意涅槃」
 (「転 一節」の文章で文字化けしてしまう箇所は、ひらがなで記載しています。)
 この区分を私は全訳の中で次のように訳している。
 「実在論を説く智には智慧としてのはたらきはなく、涅槃に到る道筋もない。一切皆空という智慧と涅槃を受ける依りどころがないからである。だから、修行者は般若波羅蜜多の行により心にこだわりがない。心にこだわりがないから、いつ果てるともない苦悩の輪廻に対する恐れをもつことから解放され、すべての要素は実在するという真理からまるで顛倒した論理と、その論理にもとづく夢想のような教えから遠く離れて、究極の涅槃にたどりつくのである。」

 お釈迦さまが入滅されて約500年後、原始教団は分裂を繰り返して、約20教団にもなった。この中で最も勢力をもったのが「説一切有部」という教団でした。
 説一切有部はお釈迦さまの悟りの内容である縁起の法に反する「全ては実在する」という実在論を説くアビダルマ哲学を完成していた。この実在説に対してお釈迦さまの真意を知る一群の修行者は異議をとなえはじめたのです。
 その修行者はお釈迦さまの系譜を継ぐ神秘的瞑想の中で、全てに実体のない事を観想にしていた。実体とは他に依存することなく他に依存して生じたり滅したりしてないから自立です。実体は変化する事なく永続し絶対に変化する事がない。さらに実体には本質が二つあることがなく本質が複合体という事が有り得ないから単一です。神秘的瞑想者は全ての存在には自立的、恒常不変、単一であるという実体はなく、相互依存の関係の中で生起(縁起)し変化し複合的である事を深い瞑想の中で観じ、それを「空」と表現して般若経を書き始めたのです。後に龍樹は「空とは縁起である」と断定してお釈迦さまへの回帰、お釈迦さまの再生を果した。般若経は説一切有部(小乗仏教)から大乗仏教への仏教運動のさきがけとなり、最後に「般若心経」として結実しました。

 前述、引用の中の「無智亦無得~」の無智の智とはサンスクリット語ジナナ(jnana)の訳語です。ジナナとは五蘊、つまりこの世の存在の要素を分析して差別、相対化して知る心の作用で、世俗的だが非常に高度のはたらきで叡智ともいわれるものです。これは現代の自然科学、社会科学に関する真理、思想、原理を構築する最高の思考方法です。現代社会はジナナによって成り立っていると云っても過言ではないでしょう。
 このジナナに意味を強調する接頭辞プラ(pra)を加えたのがプラジニア(prajna)です。プラジニアの俗語形がパンニャ(panna)で、般若はその音写語です。プラジニアの訳語が「慧」ですが、ジナナの「智」も含むので「智慧」と訳された。
 プラジニアは全ての存在の要素だけでなく、通常の私達の感覚を超越した魂、輪廻とか涅槃という世界をも、つまり諸法の道理を見抜く心の作用で、そのはたらきは直感的、直証的かつ総合的なことに特徴があると云われます。それはすぐれた神秘的修行者が深い瞑想の中で観ずるイメージです。私達は簡単に近づく事も知る事も出来ない世界ですが、時々、その片鱗を聞く事がある。それは偉大な発見、発明した人の経験談です。偉大な業績の糸口を、そうした人は「直感でひらめいた」とか「夢の中で啓示を受けた」と云います。複雑で膨大な思考の末に、簡単な一つのカギに相当するような道理や方法を直感や夢の中で見つけ出して偉大な発見や発明に至るのは多分、プラジニアのはたらきではないでしょうか。

 プラジニア、パンニャ、般若つまり智慧を完成する作法による瞑想により、修行者は心にこだわりをもたないのです。何に対してこだわりをもたないのか? 生まれる事、老いる事、病む事、死ぬ事の四苦、さらには八苦に思いわずらう事がないのです。そして何に対する恐怖か? それは輪廻です。いつ果てるともない魂の輪廻こそ修行者の最大の恐怖でした。しかし、般若という智慧により四苦八苦は縁起的存在であり、いかようにも変わり得る、つまり悪魔的犯罪者にも天才的芸術者や科学者にも、優れた経営者や政治家にもなり、やがて成道者にもなりうると知るから恐れをもつことがないのです。その結果、全ては実在するという真理からまるで顛倒した論理と、その論理に基づく夢想のような教えから遠く離れて、修行者は悟りの境地、涅槃にたどりつくのです。

 前おきが少々長くなりました。魂と輪廻に対する私の理解はこのようなものですので、冊子の中で詳しく論じたわけです。

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