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般若心経の空とはなにか

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私の般若心経の解釈について その11、その12

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私の般若心経の解釈について その11、その12

私の般若心経の解釈について その11


第一点
        般若心経を起承転結に区分した事

 私が知る限りでは般若心経を文章として起承転結に区分して解説した事例はないようです。般若心経それ自体が真言陀羅尼みたいに意味を良く考えずに、ひたすら読誦する、あるいは写経すると云うのが一般的なのではないでしょうか。般若心経は他のお経と違ってその真髄が真言陀羅尼化されているので、読誦や写経でもその潜在力を受けられるのでしょう。

 しかし、般若心経も文字で書かれた文章であり、書き手が読む側に伝えたい真理、お教えがあるはずです。その言葉、一字一句に仏さま、あるいは聖者の慈悲が込められているのだから、それ自体になんらかの救済の力があります。そして書かれている言葉の意味や真意を理解した時、その理解した、理解出来たと云う心が、より一層深くさまざまの力を発揮するものなのでないでしょうか。

 起承転結は元々、漢詩の表現様式で、般若心経の作者、あるいは漢訳者が意図したものかどうかは知るよしもありません。しかし書き手が自分の意図を読む側に分かりやすく簡潔に伝える表現様式として起承転結は最高のものです。すぐれた書き手の文章は本人が意図するしないにかかわらず、起承転結の様式になると思います。
 こうした起承転結による解釈が可能になったのは、次の第二点に立脚したからなのです。


第二点
        般若心経はお釈迦さまの悟りと、その悟りが800年の間変遷した経緯と最終                       的結論が簡潔に表現されている事

 大抵の般若心経の解説は、暗黙の中で、般若心経に込められたお釈迦さまの悟りと教えは、全てお釈迦さまが説かれたものとしております。そのため、お釈迦さまは悟りと教えを説きながら、同時に否定し、あるいは虚無(無)とされていると云う全く意味不明の内容になっているものが少なからずあります。そしてその訳の分からなさが深遠な真理を示すとする解説もあります。

 お釈迦さまの悟りと教えは800年もの間、変遷し流転しました。その中でお釈迦さまの修行の真髄である、「智慧を完成する作法の瞑想(般若波羅蜜多)」を修得しそれを弟子から弟子へ連めんと引き継ぐ一群の神秘的な真の修行者がおりました(と私は考えます)。
 その修行者は説一切有部という小乗仏教(部派仏教)の教団がお釈迦さまの教えを実在説(有)に導いた時、お釈迦さまの教えの永続に危機を感じたのです。幸い多くの修行者によって般若経が書かれそれを論理的に完成する龍樹が現れました。そこで神秘的修行者は800年間の仏教の歴史を次のようにまとめて、その当時興りつつあった密教の真髄、真言陀羅尼をもって荘厳して、お釈迦さまの悟りと教えの永続を計ったのです。

 お釈迦さまは般若波羅蜜多により真理(空)を悟った事

 真理の意味と性質を説明した事
 
 その真理の立場から実在説(説一切有部)を徹底否定した事

 全ての仏、修行者は実在説から離れ般若波羅蜜多により輪廻の束縛から解放され悟りを得た事

 以上の全ての真相と真理を保証し、読誦写経などの実践によって、さまざまの力を与え  る真言陀羅尼を般若心経に与え公開した事


第三点
        過去世におけるお釈迦さまの神格化を否定した事

 お釈迦さまは人類が歴史的事実として知り得る唯一人、悟りを得た尊い方です。お釈迦さまがおられなかったならば、人類は今もこの世の真相、真理に辿り着く事なく、無明の大海を漂っていたでしょう。

 このためお釈迦さまの弟子達がお釈迦さまを神格化し崇めるのは当然の事です。ジャータカと云うお釈迦さまの前世の積徳、積善物語が書かれ、前世のお釈迦さま、つまり菩薩と云う登場人物が、その後の大乗仏教の中で、修行者の理想とされたのも当然の事です。
 しかし、私は考えるのです。お釈迦さまは無限の過去世において常に菩薩であったのしょうか? それは違うと思うのです。お釈迦さまは過去世においても現世においても未来世においても常に菩薩、仏さまと考える事は「かわらない実体はある」と云う、お釈迦さまご自身が否定した実在説になってしまいます。

 物事は全て相互依存の関係で変化し流転するように、人間、人間社会も変わるのだ、人間誰でも変わり得る可能性があるから救われるのだ、と云うのが空の論理、お釈迦さまの教えの真髄です。貧者が富者に、富者が貧者に、愚者が賢者に、賢者が愚者に、不徳者が聖者に、聖者が不徳者に、いかようにも変わり得る。お釈迦さまはその様に説かれたのであって、ご自分は決して、現在未来は別として過去世においても聖者であった、とは云われていないのです。



私の般若心経の解釈について その12


 さて、「その10、11」で私の般若心経の解釈が3つの点で類書と大きく異なる理由を説明しました。
 では何故このような違いが生じたのかと云うと、日本仏教は今でも中国仏教の強い影響下にあるからだと私は思います。仏教の歴史と本当の内容が日本で明らかになったのは、明治時代、学僧がヨーロッパの仏教学を学ぶ為、留学して、サンスクリット語から仏教学を研究するヨーロッパ仏教学を知ってからの事です。それが、学問の世界で「根本仏教」とか「原始仏教」と云われるものです。
 それでは中国仏教とは何かと云うと中国で発達した「教相判釈」につきます。日本仏教は今もってこの教相判釈と云う経典の解釈学に支配され、般若心経もその経典解釈の元に解説されるため、中々真意が伝わらないと思うのです。
 では教相判釈とは何かを私の小冊子から引用して掲載します。

<仏教の伝播と教相判釈>
 仏教において根本的な真理が統一されることなく現代に引き継がれてきた原因は仏教伝播の歴史と、中国で発達した教相判釈という経典解釈学が大きく影響していると考えられる。
 原始教団がお釈迦さまが入滅されて約百年後に最初の分裂をした頃、アショーカ王の子マヒンダが仏教をスリランカに伝えた。教えも教団もお釈迦さまの時代のものを色こく残して伝えられたスリランカ仏教は、その後東南アジアに伝播した。この系統の仏教を南伝仏教という。
 インド本国では仏教は北西インドに伝わり、中央アジアを経て紀元後一世紀の頃、中国にもたらされたが、これを北伝仏教という。
 仏教が口伝の伝承から、文字に記録されはじめたのは紀元前後とされる。これが漢約されて中国に伝えられたのは、紀元後一世紀頃だから、文字化されるとほとんど同時に中国に伝播したことになる。
 しかし中国へは経典成立の順序に関係なく伝えられた。大乗仏教の各種経典と、大乗仏教側から小乗仏教といわれたお釈迦さまの教えを伝える部派仏教の経典「阿含経典」が、成立の年代と順序に関係なく次々と伝えられた。経典にはいずれも「如是我聞」とあり、またお釈迦さまの弟子である、智慧第一の舎利子、多聞第一の阿難、神通第一の目連など、大乗経典、部派(小乗)経典を問わず出てくる。このため中国の仏教者は、これら全ての経典はお釈迦さまが一代で説かれたものと解釈した。
 このため中国では教相つまり、教説の内容とお釈迦さまが説かれた時期を判断してその順序次第を解釈し、それによって経典の根本真理と仏道修行の究極目標を確立しようとする教相判釈という経典解釈学が発達した。
 「五時教判」「五時八教」などが有名である。ここで五時とは華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時のことである。それぞれ華厳経、阿含経、方等経、般若経、法華涅槃経が説かれた時期のことで、お釈迦さまは、45年間、この順序で教えを説かれたとするものである。この五時により教説の価値判断が行われたがこの中で特にお釈迦さま直説の教えを伝える阿含経が最も低く評価され、長い間、歴史の片すみにうもれてきたのである。
 こうした中国仏教は朝鮮半島と日本に伝えられたが、この中国的仏伝解釈により経典を価値判断して権威づけがなされ、布教され定着したことが多様な真理の存在をゆるし、今日もお釈迦さまが悟られた真理の理解を難かくしているように思われてならないのである。

 「私の般若心経の解釈」は今回の「その12」で終わります。長い間アクセスして頂き有難うございました。
 私のこのブログはしばらく休みます。色んな仕事や用事が重なり、ブログにじっくり取り組めなくなるからです。今回の「その12」は本来、来週の金曜日・26日なのですが、いそいで今日まとめました。
 宜しくお願い致します。

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